なぜ紅茶はアヘン戦争の引き金になったのか
一皿の来歴
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なぜ紅茶はアヘン戦争の引き金になったのか
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一皿の来歴
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1840年、イギリスは清に艦隊を送りました。
アヘン戦争です。
紅茶の一杯が戦争につながった道筋を、茶の代金と銀の流れからたどりました。
【今日の一考】
今日の一考です。「紅茶がアヘン戦争を引き起こした」と言われますが、私は少し言い換えたいと思います。戦争を呼んだのは茶の葉ではなく、払いの当てがないまま買い続けた、帳尻の合わせ方ではないでしょうか。銀が足りないと分かったとき、道はいくつかありました。飲む量を減らす。相手が欲しがる品を時間をかけて作る。自分の土地で茶を育てる。けれども、茶の税はすでに国の大きな財源で、暮らしにも深く入り込んでいました。減らすという道は、はじめから選びにくかったのです。そこで選ばれたのが、相手の国が禁じている品で帳尻を合わせることでした。茶を自分の土地で育てる道は、戦争のあとになって、ようやく本腰が入ります。板前として言えば、仕入れの払いに困ったとき、店の姿勢が出ます。献立を変えるのか、ツケを回すのか、取引先に無理を押しつけるのか。いま私たちが毎日口にするものにも、遠い産地との払いの帳尻がついて回ります。安い一杯の向こうで、その勘定を誰が引き受けているのか。ときどき考えてみたい問いです。
【目次】
0:00 オープニング
0:19 朝の食卓に居ついた東洋の葉
1:28 広州の商館と、銀で払う決まり
2:40 百十九%の茶税を一割強に
3:49 乾隆帝が使節に返した言葉
4:58 ベンガルの芥子畑から零丁の沖へ
6:12 四千箱が四万箱になるまで
7:27 塩と石灰で溶かした二万箱
8:37 変装した植物採集家と茶の苗
9:48 今日の一考とまとめ
【参考資料】
・角山栄『茶の世界史 改版 緑茶の文化と紅茶の社会』中公新書、2017年(初版1980年)
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2017/...
イギリスでの茶の普及、砂糖との結びつき、1784年の減税法と販売量の増加、茶と銀・アヘンの三角貿易、インドでの茶栽培
・Emperor Qian Long, "Letter to George III, 1793" (Internet Modern History Sourcebook, Fordham University)
https://sourcebooks.fordham.edu/mod/1...
マカートニー使節団への返書(勅諭)の英訳。「天朝は物産が豊かで…」の一節
・Hansard, House of Commons Debates, "War with China", 7–9 April 1840
https://api.parliament.uk/historic-ha...
1840年4月の開戦をめぐる下院の討論と採決(271対262)、グラッドストンの反対演説
・Treaty of Nanking (1842) 条文(Wikisource 収録の英文テキスト)
https://en.wikisource.org/wiki/Treaty...
香港の割譲、五港の開港、公行の廃止、計2100万ドルの支払い。アヘンへの言及がないこと
・Robert Fortune, "A Journey to the Tea Countries of China", John Murray, 1852 (Internet Archive)
https://archive.org/details/journeyto...
1848年からの茶産地の旅、変装、ウォードの箱による苗の輸送、職人を伴ったヒマラヤ山麓への移植
・Encyclopaedia Britannica, "Opium trade" / "Opium Wars"
https://www.britannica.com/topic/opiu...
1773年のベンガルアヘン専売、清の禁令(1729年・1796年)、輸入量の推移(約4千箱から約4万箱)、林則徐による約2万箱の没収と処分
【画像】パブリックドメインの作品を使用しています
・William John Huggins 『The opium ships at Lintin, China, 1824』(after 1824) Wikimedia Commons
・Joseph Van Aken 『Van Aken, An English Tea Party』(circa 1730) Wikimedia Commons
・William Daniell 『The European Factories, Canton』(1806) Wikimedia Commons
・Shepherd, Thomas Hosmer Shepherd 『View of East India House』(1817) Wikimedia Commons
・James Gillray 『The Reception』(1792-09-14) Wikimedia Commons
・Walter Stanhope Sherwill 『A busy stacking room in the opium factory at Patna』(circa 1850) Wikimedia Commons
・Edward Duncan 『The East India Company iron steam ship Nemesis , commanded by Lieutenant W. H. Hall, with boats from the Sulphur , Ca』(30 May 1843) Wikimedia Commons
・Franz Eugen Köhler, Köhler's Medizinal-Pflanzen 『Camellia sinensis - Köhler–s Medizinal-Pflanzen-025』(1897) Wikimedia Commons
・William Daniell 『A View in China: Cultivating the Tea Plant』(circa 1810) Wikimedia Commons
地図: Natural Earth
【音声】
VOICEVOX:青山龍星
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