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曹操を恐れて援軍を招いた劉璋は、なぜその「味方」に国を奪われたのか?【劉備の入蜀】

三国志の転換点

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曹操を恐れて援軍を招いた劉璋は、なぜその「味方」に国を奪われたのか?【劉備の入蜀】

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三国志の転換点
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211年、曹操の脅威におびえた益州の劉璋は、国を守ってもらうため、同族の劉備を援軍として迎え入れました。 それからわずか三年後、なぜ助けを求めた劉璋がすべてを失い、招かれた劉備が主の座を奪うことになったのでしょうか。 00:00 招かれた英雄と、差し出された国 01:10 平和な盆地を襲った恐怖 03:26 開かれた門と、仕組まれた罠 06:06 百日の歓宴と、静かな侵食 08:42 露わになった爪 11:02 焦土作戦と、優しさの罠 14:37 意地と崩壊 17:06 開かれた城門 19:44 乱世の敗者 ▼次回 曹操が一生で最も死に近づいた日【潼関の戦い】    • 曹操が一生で最も死に近づいた日【潼関の戦い】   ▼出典・参考文献 陳寿『三国志』劉二牧伝(劉焉・劉璋)・先主伝・諸葛亮伝・張飛伝・趙雲伝・馬超伝・龐統伝・法正伝・簡雍伝・李厳伝・黄権伝・李恢伝・楊戯伝(季漢輔臣賛) 裴松之注所引『呉書』『魏書』『九州春秋』『益部耆旧雑記』『典略』 劉璋・劉備・龐統・法正・張松・黄権・張任の発言は、上の史料に記された言葉に基づく再現です。 龐統が益州を取るよう劉備に説いた言葉、劉璋が劉備に贈った米・馬・車の数、劉備が兵の前で劉璋を責めた言葉、張任の最期、馬超の布陣は、裴松之注に残る記録です。 地図や図の記号は模式的な表現で、位置や兵数の精密な復元ではありません。 音声: VOICEVOX Nemo #三国志 #歴史解説 #劉備の入蜀