【沢田研二・田中裕子】25年会わなかった息子が届けた一通の手紙——差出人は、18億で別れた前妻でした
時代を語る声
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【沢田研二・田中裕子】25年会わなかった息子が届けた一通の手紙——差出人は、18億で別れた前妻でした
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【沢田研二・田中裕子】25年会わなかった息子が届けた一通の手紙——差出人は、18億で別れた前妻でした
18億1800万円。1987年、沢田研二さんが払った慰謝料の額です。相手は、歌をやめて彼のもとへ来た前妻・伊藤エミさん。そのきっかけとなったのが、映画『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』で出会った女優・田中裕子さんでした。同じ頃、田中裕子さんは朝ドラ『おしん』で最高視聴率62.9パーセントという、いまも破られていない記録を出しています。日本中が愛した女性と、日本中に責められた女性が、同じ人だった一年でした。
離婚から25年、伊藤エミさんは「澤田」という姓を名乗り続けました。旧姓に戻ることも、芸名に戻ることもできたはずです。そして2012年、彼女が亡くなった翌年、8歳で父と別れた息子が、一通の手紙を持って、沢田研二さんの楽屋を訪ねます。
なぜ、彼女は姓を変えなかったのでしょうか。そして、その手紙は、25年という時間に、何を届けたのでしょうか。信頼できる資料のみに基づき、丁寧に紐解いていきます。
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📌 目次
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オープニング — 2013年、楽屋の前に立った男性と、一通の封筒
第1章「けんかのサワケン」— 鳥取に生まれ、京都・浄土寺で育った少年
第2章「女優論」— 卒業論文に「女優論」を書いた、大阪生まれの娘
第3章「もうひとりの人」— 名古屋の双子、ザ・ピーナッツの姉
第4章「1,241万枚」— ザ・タイガースから、ジュリーの時代へ
第5章「比叡山の、最後の一度」— 1975年、歌をやめた花嫁
第6章「男は、顔ですか」— 1982年、湯平温泉での出会い
第7章「毎朝、日本中が彼女を見ていた」— 『おしん』が始まった年
第8章「62.9パーセント」— 愛された人と、責められた人
第9章「18億1800万円」— 1987年の離婚と、名乗り続けた姓
第10章「8年」— 1989年、出雲大社
第11章「澤田という姓」— 世田谷の家の、静かな25年
第12章「2012年6月15日」— 転倒から、1か月
第13章「一通の手紙」— 25年ぶりの再会
第14章「まだ、歌っている」— 77歳と71歳の、いま
終章 — 口から出てこなかった言葉について
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📖 参考文献・出典
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1. 読売新聞「光彩の時 聞き書き 沢田研二」(2001年6月)
2. 文春オンライン 沢田研二インタビュー(2023年6月23日)
3. 日本経済新聞「『ザ・ピーナッツ』の伊藤エミさんが死去 71歳」(2012年6月27日)
4. スポーツニッポン「伊藤エミさん死去 沢田研二と離婚 慰謝料は18億円超も沢田姓で通す」(2012年6月28日)
5. 日刊スポーツ「ザ・ピーナッツ姉死去 がん判明1カ月」(2012年6月28日)
6. 時事通信社「ザ・ピーナッツ 写真特集」(2012年)
7. 松竹『男はつらいよ』公式サイト/山田洋次オフィシャルサイト 第30作『花も嵐も寅次郎』作品解説(1982年)
8. NHK『おしん』放送記録(1983年4月〜1984年3月、全297回/平均視聴率52.6パーセント、最高視聴率62.9パーセント)
9. 各種芸能報道(2013年、ザ・タイガース復活公演での再会に関する記事)
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