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徳川慶喜のその後|江戸を去ってから、息子と娘はどんな道を歩んだのか

日本史のあとがき

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徳川慶喜のその後|江戸を去ってから、息子と娘はどんな道を歩んだのか

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日本史のあとがき
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1868年、江戸を去った最後の将軍・徳川慶喜。教科書は、そこで終わります。 けれども慶喜の人生には、静岡で約30年、東京で16年、あわせて45年の続きがありました。10男11女と伝わる子どもたちの行く先を、『徳川慶喜公伝』『昔夢会筆記』と、写真と日付でたどります。 教科書の「その先」が気になる方は、ぜひ最後までご覧ください。 0:00 大正2年11月22日、午前4時10分 2:56 1868年、江戸を出る 7:12 宝台院から紺屋町へ 10:11 21人の子と2人の母 14:26 狩りと写真、遠ざけた旧臣 18:15 家を出る子、嫁ぐ娘 23:31 1897年、東京へ 26:50 十男の東京 29:47 七男が守ったもの 32:44 1913年11月、谷中へ 37:20 45年をたどって 39:39 もしも:記録にない話 【本動画の主な史料・参考文献】 ・渋沢栄一『徳川慶喜公伝』竜門社 1918(国立国会図書館デジタルコレクション 1917803 ほか) ・渋沢栄一編・大久保利謙校訂『昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談』平凡社東洋文庫 1966 ・家近良樹『その後の慶喜 大正まで生きた将軍』講談社選書メチエ 2005 ・松浦玲『徳川慶喜 将軍家の明治維新』増補版 中公新書 1997 ・前田匡一郎『慶喜邸を訪れた人々 「徳川慶喜家扶日記」より』羽衣出版 2003 ・『将軍が撮った明治 徳川慶喜公撮影写真集』朝日新聞社 1986 ・蜂須賀年子『大名華族』三笠書房 1957 ・徳川慶朝『徳川慶喜家にようこそ』集英社 1997 ・千田稔『華族総覧』講談社現代新書 2009/『明治・大正・昭和華族事件録』2005 【画像の出典】 慶喜 公爵の大礼服、伏見宮博恭王妃 経子、芳年「江戸へ向かう慶喜」、慶喜が撮った飼い猫、月岡芳年「慶喜の脱出」、慶喜の肖像、馬上の慶喜、図版九八「水戸弘道館内謹慎の室」・九九「其二」、図版一〇〇「静岡宝台院」・一〇一「同院内謹慎の室」、浮月の庭の池、徳川鏡子、徳川厚、徳川厚と妻 里子、図版六一「閑居時代肖像」弓を引く慶喜/六二 同 猟の装いで犬と立つ慶喜、図版八八 書・八九「閑居時代の油絵」風車の風景の色刷り。2026-10-31 画像で確認して訂正、図版九〇・九一「閑居時代の油絵」風景、勝海舟、図版一〇四「静岡草深町邸居間及隣座敷」・一〇五「東京巣鴨邸座敷」、池田仲博、蜂須賀筆子、図版六四「麝香間祗候時代肖像」、図版一〇六「東京小日向邸玄関」・一〇七「同邸居間」、図版六五「公爵時代肖像」大礼服、家達と慶喜、タクリー号、谷中の慶喜の墓、徳川慶久、図版六三「閑居時代肖像」紋付の慶喜、慶喜の葬列、慶喜の葬儀、図版一〇八「公及夫人の墓」、「大坂城の防備を指図する慶喜」 上記は Wikimedia Commons でパブリックドメインまたは CC0 として公開されている画像です。一部はトリミング・拡大・レイアウト加工を行っています。 地図は国土地理院の地理院タイル(陰影起伏図)を加工したものと、Natural Earth(パブリックドメイン)をもとに作りました。地名の位置はおおよそです。 ※墨絵の場面は、生成AIで作った再現イメージです。 ※最後の2分は、史料をもとにした想像の話です(本編で「ここからは、記録にない話です」と断っています)。 ※諸説ある所は「〜と伝わる」「〜という説がある」とお伝えしています。 ※地図・系図・年表の図は、史料をもとに作った図です。 ※古写真・史料の図版は、出どころを上に記したパブリックドメインのものです。 #日本史 #徳川慶喜 #江戸幕府