徳川幕府が「豊臣の家臣だったのに重く用いた」大名ベスト5
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徳川幕府が「豊臣の家臣だったのに重く用いた」大名ベスト5
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豊臣の家臣だった大名たちは、徳川の世で一律に遠ざけられたのでしょうか。将軍の話し相手、西国を押さえる城、豊臣方と戦う先鋒。幕府が重要な役目を任せた旧豊臣大名たちがいました。
今回は立花宗茂、蜂須賀至鎮、藤堂高虎、加藤嘉明、池田輝政を第五位から紹介します。加増された石高だけでなく、任された土地や実務、家族との関係、その後の家の行方をたどります。
【今回取り上げる5人・5つの家】
■第五位 立花宗茂
秀吉に柳川を与えられた宗茂は、関ヶ原で西軍に加わり改易されました。浪人の身から棚倉で大名へ復帰し、大坂の陣では秀忠を支えます。旧領柳川への再封後も御咄衆として将軍のそばに仕え、死を惜しむ家光の意が書状で伝えられるまでを紹介します。
■第四位 蜂須賀至鎮
秀吉のそばに仕えた少年は、徳川の将として大坂の陣へ。隠居した父が秀吉をまつる社寺を造営した同じ年、息子は豊臣方の砦を攻めました。淡路七万石の加増と、後代に受け継がれた唐冠形の兜から、父子の異なる働きを見つめます。
■第三位 藤堂高虎
秀長に仕え、主家の廃絶後には高野山へ入った高虎。還俗して秀吉の直臣となった後、徳川方で伊賀・伊勢の要地を任されました。二条城の対面での接待役、大坂の陣の先鋒、東照宮の造営など、幅広い役目を追います。
■第二位 加藤嘉明
賤ヶ岳の七本槍の一人は、徳川の世に伊予の松山を築き、やがて会津四十万石へ。かつての同僚・福島正則が城を失う際には、幕府の命で周辺の備えを固める側にいました。本人の加増と、息子の代の所領返上を分けて紹介します。
■第一位 池田輝政
小牧長久手で父と兄を徳川軍に討たれた輝政は、のちに家康の娘を妻としました。関ヶ原後は播磨五十二万石余を与えられ、姫路城を大改築。池田一族の領地が西国に広がった理由と、今も残る白い天守をたどります。
かつて仕えた家とのつながりを持ちながら、新しい政権で城や軍事、将軍の身近な務めを担った大名たち。豊臣から徳川への移り変わりを、それぞれに与えられた仕事から見つめます。
皆さんが最も気になった大名は誰でしたか。今後取り上げてほしい人物や城も、コメントで教えてください。
【目次】
0:00 オープニング
0:48 第五位 立花宗茂──将軍の話し相手
4:47 第四位 蜂須賀至鎮──同じ年の父と子
8:42 第三位 藤堂高虎──対面の席を整えた男
12:50 第二位 加藤嘉明──七本槍の生き残り
16:50 第一位 池田輝政──西国将軍
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※動画内の会話には、史料で確認できない部分を、当時の状況や人物像をもとに想像して構成した表現が含まれます。
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