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朝鮮通信使はなぜ、かつての敵国・日本へ200年も通い続けたのか?|地図で見る文禄・慶長の役のあと 第4回

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朝鮮通信使はなぜ、かつての敵国・日本へ200年も通い続けたのか?|地図で見る文禄・慶長の役のあと 第4回

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▶ 朝鮮はなぜ、かつての敵国に200年も使節を送り続けたのか ― 出典つきで(英語):https://terrascripta.com/en/events/jo... ▶ 柳川一件 ― 対馬の国書書き換えはどうして明るみに出たのか(英語):https://terrascripta.com/en/events/jo... ▶ 1636~1637年、戦後はじめての「通信使」と日光、そして清の侵攻(英語):https://terrascripta.com/en/events/jo... ▶ 「鎖国」と四つの口(英語):https://terrascripta.com/en/events/jo... ▶ このシリーズ「地図で見る文禄・慶長の役のあと」 第1回「朝鮮でともに戦った武将たちは、なぜ関ヶ原で敵になったのか?」:   • 朝鮮でともに戦った武将たちは、なぜ関ヶ原で敵になったのか?|地図で見る文禄・慶長の役...   第2回「朝鮮出兵のあと、江戸幕府と朝鮮はどうやって国交を回復したのか?」:   • 朝鮮出兵のあと、江戸幕府と朝鮮はどうやって国交を回復したのか?|地図で見る文禄・慶長...   第3回「関ヶ原を生き延びた豊臣家は、なぜ15年後に滅んだのか?」:   • 関ヶ原を生き延びた豊臣家は、なぜ15年後に滅んだのか?|地図で見る文禄・慶長の役のあ...   ▶ 前のシリーズ「地図で見る文禄・慶長の役」 第1回「漢城を20日で落とした日本軍は、なぜ朝鮮を征服できなかったのか?」:   • 漢城を20日で落とした日本軍は、なぜ朝鮮を征服できなかったのか?|地図で見る文禄・慶...   第2回「平壌を奪い返した明・朝鮮軍は、なぜ日本軍を追い出せなかったのか?」:   • 平壌を奪い返した明・朝鮮軍は、なぜ日本軍を追い出せなかったのか?|地図で見る文禄・慶...   第3回「1597年、再び海を渡った日本軍は、なぜ漢城(ソウル)に届かなかったのか?」:   • 1597年、再び海を渡った日本軍は、なぜ漢城(ソウル)に届かなかったのか?|地図で見...   第4回「1598年、撤退を決めていた日本軍は、なぜ露梁で最後の海戦を戦ったのか?」:   • 1598年、撤退を決めていた日本軍は、なぜ露梁で最後の海戦を戦ったのか?|地図で見る...   ▶ この回の英語版(English):   • Japan Was Its Enemy. Why Did Korea Send En...   ▶ この回の韓国語版(한국어):   • 임진왜란 뒤 조선은 왜 원수의 나라에 200년 동안 사신을 보냈나? | 지도...   1637年1月9日(寛永13年12月13日)、朝鮮の使節たちが江戸城で将軍・徳川家光に朝鮮国王の国書を手渡しました。そのころ、清の軍勢はすでに凍った鴨緑江を越えて朝鮮になだれ込んでいました。文禄・慶長の役(1592~1598年)が終わって40年近く、朝鮮はなぜ、攻め込んできた国に使節を送り続けたのか。対馬の国書書き換えが明るみに出た柳川一件、再び「通信使」と名のった1636年の使節と日光東照宮、同じころの清の侵攻、島原・天草一揆と出島、いわゆる「鎖国」と四つの口、漢城(ソウル)と江戸を往復するおよそ4,500キロの道のり、釜山の倭館、方広寺の宴を断った使節たちと雨森芳洲、大坂での崔天宗殺害、そして1811年、対馬での易地聘礼まで、地図の上でたどります。シリーズ「地図で見る文禄・慶長の役のあと」の最終回です。 00:00 問い 00:51 まだ通信使ではなかった 01:37 柳川一件 ― 内紛が暴いた秘密 03:19 変わったルール 04:01 1636年、戦後初の通信使 05:32 同じころ、北では 06:34 日本、扉を狭める 08:24 4,500キロの道 09:49 釜山の倭館 10:22 仇を忘れなかった使節たち 11:34 大坂の殺人 12:23 最後の通信使 13:02 その後 13:44 戦争が残したもの 14:26 エンディング 次のシリーズ ― 地図で見る文禄・慶長の役のあとの北方 第1回:明が世子としては認めなかった、のちの朝鮮国王・光海君。サイトで先に読む(英語):https://terrascripta.com/en/people/wd... 【出典・注記】 ・映像(音声なし・各3秒以内・公式チャンネル):釜山文化財団(カルチャーチューブ)、瀬戸内市観光協会、下関市・下関市文化振興財団(現代の祭りでの再現行列)、韓国 国家遺産庁、KBS『역사스페셜 시간여행자』(歴史スペシャル 時間旅行者、2026年、再現ドラマ)・『영상한국사』(映像韓国史、CG)、環境省 国立公園、栃木県、長崎県、南島原市(原城VR)。映画『沈黙 -サイレンス-』(2016年、Paramount Pictures・KADOKAWA)、ドラマ『徳川武芸帳 柳生三代の剣』(松竹)、『SHOGUN 将軍』(2024年、FX)は、フィクションの雰囲気の映像として使っています。著作権は各権利者に帰属します。この回にAIで生成した映像は使っていません。 ・日付はグレゴリオ暦に換算しています(韓国天文研究院・国立天文台)。1637年1月9日の江戸城での国書の手渡しは、朝鮮の暦では1636年12月14日、和暦では寛永13年12月13日です。 ・肖像画:徳川家光・宗義成・雨森芳洲・趙曮 ― パブリックドメイン(Wikimedia Commons)。柳川調興・任絖・申維翰、地図上の人物・船・建物、サムネイルの絵はAIによるイラストです(実際の姿ではありません)。 ・地図:Natural Earth・Wikidata・国土地理院 標高タイル・OpenStreetMap(河川)。豆毛浦倭館、南漢山城、三田渡、江華島、清の軍の経路、海上の経由点はおおよそです。 ・断定できない点:1635年の裁判が1606年の「家康の国書」の偽造まで確定したか、「大君」という称号を考えた人、使節の人数と費用、1624年の帰国者数(36人か146人か)、「鎖国」という言葉と「四つの口」の見方、崔天宗殺害の動機、1811年に対馬で国書をやりとりした理由、通信使と清の侵攻のつながり(同じ時期だったことだけを述べています)。 ・人名・地名:朝鮮の人名・地名は漢字で表記し、ナレーションでは朝鮮語の読みに近いカタカナで読んでいます(任絖=イム・グァン、申維翰=シン・ユハン、趙曮=チョ・オム、崔天宗=チェ・チョンジョン、漢城=ハンソン)。 ・台本:AIが公開資料をもとに作成し、別のAIが事実を確認しました(専門家による確認はありません)。ナレーション:AI音声。 ・誤りに気づいた方は、コメントで教えていただけると助かります。 #朝鮮通信使 #鎖国 #江戸時代 #文禄慶長の役 #地図で見る歴史