かつて札幌を襲ったのはバッタ!?凶悪昆虫に変えたその正体とは
今日もぼちぼち 札幌から
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かつて札幌を襲ったのはバッタ!?凶悪昆虫に変えたその正体とは
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生まれてからずっと札幌の道産子です。70代も、もう間近。日常の暮らしや、昔懐かしい話などを札幌からぼちぼちお伝えします。
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昔、札幌にバッタの大群が襲来したことを知っていますか?それは明治13年のこと、十勝地方で大発生したバッタの大軍が、札幌までやってきた事があったそうです。空はバッタで真っ黒になり大事に育てた農作物をいっぺんに食べ尽くしてしまいました。
そこで人々は、これ以上の被害を防ぐために幼虫や成虫を捕まえたり、バッタの卵を掘り出したりして土の中に埋めました。
それがバッタ塚です。当時は札幌の数ヶ所にあったそうですが、今でもこうして残されているのが明治16年に作られたという手稲区山口にあるバッタ塚です。
バッタの大群が農作物に襲いかかるシーンをテレビで見たことがあります。空に大きな黒い塊が現れたかと思うとそれが畑の中に吸い込まれたちまち農作物は溶けるように姿を消していく。もしあのような状況がここでも起きていたのなら人間の手で捕まえるなんて焼石に水。
逆に言えば、捕まえたバッタだけで札幌の何ヶ所にもバッタ塚ができたということはバッタの数の多さときたら、想像するほど恐怖に思えてくる。のちの研究で、バッタの襲撃がおさまったのはバッタを捕まえた事が要因ではなく、自然に終息したからと考えられています。
実はこの時の襲撃バッタは何と普通の殿様バッタ達なんです!それを知ったのは、以前見た北海道新聞の記事でした。日照り続きで食料がなくなると、殿様バッタ達は、同じ場所に集中して卵を産むようになる。生まれた子供の時代もまだ食料難だと、また同じ事をくり返す。バッタたちはもうギュウギュウ詰め。するとしだいにピョンピョン跳ねる体から、長距離を飛べる体に変化し始める。体の色は黒くなり、ついには集団になって移動し次から次へと畑の作物に襲いかかる。
いつもはかわいい殿様バッタたちが、まるで催眠術にでもかかったかのように激変するなんてSFの世界みたいですね。しかも不思議なことに、普通の殿様バッタが襲撃集団バッタになるには『ある行為』がスイッチとなるというのです。それは・・・・・『後ろ足をこちょばす!』
※『こちょばす』 = 『くすぐる』という北海道の方言。はあ? 「あんた、はんかくさいんでないかい」って言われそう。いえいえ、つまりはこうです。日照りなどの気候の変化で、いつもはあるはずの餌が不足し飢餓状態になったとき、バッタ達は少ない食料のある所に集まり、タマゴを産む。当然、バッタたちはギュウギュウ詰め。するとほら、くっつきあうもんだから、お互いの足が触れるっしょ・・・・・その刺激によってバッタの体にセロトニンという物質が増え始めるんですと。セロトニンは単独で行動する『孤独相』のバッタたちを集団で移動しやすい『群生相』へと変化させていく。それがバッタを変態させる正体だったのです。数えきれない数の黒い殿様バッタが空を埋め尽くし、畑に降りては農作物を食い荒らす襲撃バッタたち。これじゃあどうすることもできませんね。ちなみに、餌が十分な環境に戻ると、襲撃バッタも再び普通のバッタの姿に戻るそうです。
今はゴミ処理場の傍の草むらに、きれいに整備されてあるけれど、私が子どもの頃は、もっと草がボウボウだったような気がする。
手稲山口は、海が近いこともあって砂地です。夏は、札幌で一番気温が高くなるところ。子供の頃、このあたりはみんなスイカ畑でした。その名も『山口スイカ』。でも『山口スイカ』という名前だと山口県と間違えそうという事になり、名前を『さっぽろスイカ』に改めました。このバッタ塚は、ここに入植した山口県人の自然との闘いの場でもあったのですね。
北海道札幌市手稲区手稲山口324-308
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