バイブル・エッセイ 1279『命を惜しめば命を失う』(聖書朗読とミサ説教:片柳弘史神父)
片柳神父のチャンネル「道の途中で」
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バイブル・エッセイ 1279『命を惜しめば命を失う』(聖書朗読とミサ説教:片柳弘史神父)
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00:00 聖書朗読(マタイ 22:15-21)
01:47 説教
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「言葉じりをとらえて、罠にかけよう」とするファリサイ派の人々に、イエスが、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答える場面が読まれました。このイエスの答えは、「人間のものは人間に、神のものは神に返しなさい」と読み替えることで、税金以外にも当てはまるでしょう。人間のものは喜んで人間に返し、神のものは神に喜んで返して、何ものにもしがみつかない。それこそ、イエスが示すわたしたちの人生の原則なのです。
では、「人間のもの」「神のもの」とは何でしょう。「人間のもの」とは、人間が作ったもの、人間が価値を生み出しているものと考えたらよいでしょう。たとえば、世間での評判がそうです。「人からどう思われるか」を気にして、人気が出れば喜び、人気を失えば悲しむ。それが普通だと思いますが、イエスの原則に従えば、たとえ人気を失っても悲しむ必要はないことになります。人気というのは人間が作りだしたもの。たとえ取り去られても、それは持ち主に返しただけのことなのです。むしろ、一時だけでも与えられたことを感謝し、取り去られるときには喜んで返す。それで十分だと思います。世間での評判だけでなく、財産や地位などについても、同じことが言えるでしょう。人間から受け取ったものは、人間に返せばいいのです。
では、「神のもの」とは何でしょう。それは、神さまが作ったもの。わたしたちの命、わたしたちの人生のことだと思います。神さまからお預かりした命を、神さまのために使う。神さまから与えられた「使命」を果たす。それが、わたしたちに与えられた役割なのです。そのことによってのみ、わたしたちは幸せに生きられる。自分の命を惜しめば、かえって不幸になり、自分の身を滅ぼすことになる。そう言ってもいいでしょょう。
たとえば、わたしの使命は神父としてみなさんのために働くことですが、ときどき「命が惜しくなる」こと、さぼりたいと思うことがあります。「ここまでしなくてもいいだろう。適当なところで誤魔化しておけばいい」という悪魔のささやきが聞こえてくることがあるのです。このささやきに、全面的に乗ってしまったらどうなるでしょう。確かに、仕事は楽になり、休む時間は増えるでしょう。しかし、次第に、自分が生きている意味が分からなくなってくるはずです。生きている意味を見失えば、生活が乱れ、健康を損ないという悪循環が始まります。「命を惜しんだ」結果として、自分の使命を見失い、滅んでいくというのは、そういうことなのです。
何より大切なのは、神さまから頂いたものを、毎日、きちんと神さまにお返しすること。神さまから与えられた使命を精いっぱいに果たすことだと思います。人間から与えられるもの、世間の評価や財産、地位などに左右されて使命を怠るなら、結局、「命を惜しんで」命を失うことになりかねません。「人間からのものは人間へ。神からのものは神へ」の原則をしっかり守れるよう、心を合わせてお祈りしましょう。