【香淳皇后】長女が生まれた夜、昭和天皇がかけた言葉
姫と令嬢の暮らし帖
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【香淳皇后】長女が生まれた夜、昭和天皇がかけた言葉
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姫と令嬢の暮らし帖
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天皇が決めた婚約を、長老の政治家たちが、取り消させようとしました。
姫が皇太子妃(こうたいしひ)に決まったのは、14歳の冬でした。
長老たちは姫の父に、姫の家の側から婚約を断るよう求めました。
挙げた理由は、姫の子や孫のことでした。
色覚(しきかく)の異常が、受け継がれるかもしれない、と。
父は、応じませんでした。
姫の名は、良子(ながこ)。
のちの香淳皇后(こうじゅんこうごう)です。
婚約者の皇太子は、のちの昭和天皇です。
大正7年、1918年の暮れ。
大正天皇を産んだ柳原愛子(やなぎわら なるこ)が、姫の家を訪ねてきました。
明治天皇の側室で、皇太子から見れば、実の祖母にあたる人です。
良子を皇太子妃にと推した、長老の1人。
その人が、3年後、婚約の取り消しを求めました。
その名は、山県有朋(やまがた ありとも)。
元老(げんろう)と呼ばれた、長老の政治家の1人です。
山県が挙げた反対の理由は、どれも色覚のことでした。
姫の母方の血筋には、色覚の異常がある人がいました。
姫自身の目の話では、ありませんでした。
姫の父は、大正天皇の皇后に、婚約のことで書面を差し出します。
決まったとおりに進めてほしい、という願いでした。
姫に道徳を教えていた先生も、長老たちの求めに反対しました。
その先生、杉浦重剛(すぎうら じゅうごう)は、皇太子にも教えていました。
先生は、皇太子に仕える役所の長に、手紙を送りました。
婚約を取り消せば、皇太子の心に、一生いやな思いが残る。
万一の時は、自分も自決するほかないと覚悟している。
倫理の問題として、黙っていられない、と。
そして先生は、皇太子の学校の役目を辞めると、申し出ます。
病気を理由にしていましたが、長老たちへの反発からでした。
そのあと3か月近く、姫の道徳の授業にも来ませんでした。
良子は、その間に、先生へ見舞いの品を贈っています。
大正10年、1921年の2月10日。
皇室の役所、宮内省(くないしょう)が、発表します。
良子の婚約に、変更はない、と。
この騒ぎは、宮中某重大事件(きゅうちゅうぼうじゅうだいじけん)と呼ばれています。
大正13年、1924年の1月26日、皇太子と良子は結婚します。
翌年の冬、初めての子が生まれます。
生まれたのは、女の子でした。
その夜、駆けつけた皇族の女性が、のちにこう書いています。
男の子を望んでいた1人に、少しがっかりした様子が見えた、と。
けれど夫の皇太子は、いつもの調子でこう言いました。
「ああそう、それはよかった。女の子はやさしくてよいね」
もしもあなたが、姫の立場だったら。
長老たちの求めに反対して、来なくなった道徳の先生。
あなたなら、何を贈りますか。
よかったら、コメントで教えてください。
※「」の中は、その皇族の女性の思い出(『皇女照宮』1973年)の文です。
※年齢は満年齢です。
※絵は、記録をもとにしたイメージです。写真が白黒のため、着物や服の色は想像で描きました。写真の無い年の顔と服、部屋の様子は、近い年の写真をもとに描きました。
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画面に出した資料(国立国会図書館デジタルコレクション・保護期間満了・どれも部分)
・『良子女王御生立の記』1922年 https://dl.ndl.go.jp/pid/970728
・『皇太子殿下良子女王殿下御略歴』1923年 https://dl.ndl.go.jp/pid/979751
・『東宮殿下御結婚記念写真画報』1924年 https://dl.ndl.go.jp/pid/1014731
参考にした資料
・宮内庁書陵部 編『香淳皇后実録』巻一、2025年公開
・『杉浦重剛全集 日誌・回想』1983年
・東久邇聡子「思ひ出は消ゆべくもなし」『皇女照宮』1973年
・大野芳『宮中某重大事件』1993年
・国立国会図書館デジタルコレクションの『原敬日記』『国師杉浦重剛先生』『天皇陛下』『皇太子殿下御結婚奉祝記』
BGM
・ソメイヨシノ・貴族の昼休み・みやびごころ・悠久庭園・手紙を出すよ・花鳥風月・あの日の風景/BGMer https://bgmer.net/
#香淳皇后 #大正時代 #お姫様
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