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「夢咲きほこれ」夢はあきらめなければ叶う!沖縄三線の可能性を切り開き、祭りで世界平和を唄う男⇒南ぬ風人まーちゃんうーぽーの熱いトークと唄♪

まーちゃんうーぽーチャンネル

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「夢咲きほこれ」夢はあきらめなければ叶う!沖縄三線の可能性を切り開き、祭りで世界平和を唄う男⇒南ぬ風人まーちゃんうーぽーの熱いトークと唄♪

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「夢咲きほこれ」 夢はあきらめなければ叶う! 沖縄三線の可能性を切り開いてきた男 ⇒南ぬ風人まーちゃんうーぽーのお話   このライブのなかで、 話が出てきます   1993年 ぼくは、石垣島の八重山高校を卒業し 大阪にやってきました   そして三線を片手に唄い始めました その当時は、まだ三線は民謡を歌うものというのが 常識だったのです   沖縄の三線のことを まだ、島では三味線と言ってたし 内地では、蛇皮線と言ってました ぼくは、そのころに 三線という言い方を広めながら 自らを 三線アーティストと名乗って活動しました 沖縄音楽で、三線アーティストと 最初に名乗ったのは 間違いなくぼくだと思います   それから1995年ごろより ぼくは、オリジナル曲をつくり唄い ライブ活動を展開しました そして確信しました 三線は、沖縄から世界へ広がってゆくと   西表島の海を守りたい 沖縄の基地をなくしたい (※その当時、米軍が沖縄の女の子をレイプして殺した 事件が起こり、県民は怒りを爆発させていました!) という、その想いが強くなりました そしてお祭りを始めました 西表島では「砂浜芸能祭」 大阪では「風人の祭」 その当時としては、革新的なお祭りでした 今こそ、八重山でも、全国どこ行っても 沖縄フェスみたいのが、いっぱい開催されてますが 当時はとても新しい出来事でした   出る杭は打たれる という、日本語のことわざにありますが まさにそのとおりで 西表島でも大阪でも 島の先輩や、古典民謡の先生からは お前みたいな若造になにができると ひどく批判され、たたかれたものです   20歳の島の若者の熱い想いも聞かずに その行動を頭からつぶされ つらかったですよ 同じ島の人間なのにね 若いから余計に目立ったんです   それでも、ぼくはあきらめずに お祭りを開催し継続してきました   今では、そのお祭りをきっかけに 生まれたアーティストたちが、あちこちで 活躍をしています 確実に、まいた種の花が咲きはじめているのです こうして、やっと花が咲きはじめました 嬉しいです でも、もっとぼくには目指してる世界があります   この歌「夢咲きほこれ」を紅白にもっていきたいし   お祭りを、アジアで展開して 世界平和をつかんでいきたいのです   やりましょう 一緒にやりましょう   大阪で、沖縄で 台湾で、韓国で、中国で 沖縄の三線が響き渡る 世界平和のお祭り、やりましょう   友達になってね よろしくお願いします 南ぬ風人まーちゃんうーぽー