MACF礼拝映像:2026年9月13日
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MACF礼拝説教要旨
2026年9月13日
ヨハネによる福音書17章6-19節
6世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、
わたしは御名を現しました。
彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに与えてくださいました。
彼らは、御言葉を守りました。
7わたしに与えてくださったものはみな、あなたからのものであること
を、今、彼らは知っています。
8なぜなら、わたしはあなたから受けた言葉を彼らに伝え、彼らはそれを
受け入れて、わたしがみもとから出て来たことを本当に知り、あなたが
わたしをお遣わしになったことを信じたからです。
9彼らのためにお願いします。世のためではなく、わたしに与えてくださっ
た人々のためにお願いします。彼らはあなたのものだからです。
10わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。
わたしは彼らによって栄光を受けました。
11わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。
わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。
12わたしは彼らと一緒にいる間、あなたが与えてくださった御名によって彼らを守りました。わたしが保護したので、滅びの子のほかは、だれも滅びませんでした。
聖書が実現するためです。
13しかし、今、わたしはみもとに参ります。世にいる間に、これらのことを語るのは、
わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。
14わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。
わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。
15わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、
悪い者から守ってくださることです。
16わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。
17真理によって、彼らを聖なる者としてください。
あなたの御言葉は真理です。
18わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。
19彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです。
*****
1)御言葉への信頼と信仰の確立
まず、イエス様は父なる神様から受けた言葉を弟子たちに伝え、彼らがそれを守り、イエス様が神から遣わされた者であることを真に信じたことへの感謝と確認の言葉が語られています。(6〜8節)。
聖書の言葉とイエス様の存在、その言葉と行動、奇跡などを通して弟子たちは「イエス様が神から救い主として使わされた存在であることを悟り、信じました。
これは、実は今、私たちに求められていることでもあります。
聖書を学び、礼拝を捧げ、何を受け取るべきなのか、それは「イエス様こそ神様から
遣わされた救い主である」ことを認め、信じることです。
弟子たちはイエス様と一緒に生活する中でそのことを悟り、それを認めました。
それはイエス様にとってはこの上なく嬉しいことだったに違いありません。
それが大事な使命のひとつでしたから。
2)「世」の中での保護と一致
弟子たちはやがて世に残され、世からの敵意に晒されるため、イエス自身が世に属さないのと同様に、彼らも世に属さない存在であることを示しつつ、悪から守られ「神とイエスさまの交わりのように一つとなる」ことのへの願いが続きます。(9〜16節)。
弟子たちが世の中で守られ、いわゆる勝利を味わうためには「彼らがひとつになる」ことが
必要でした。「心と思いをひとつにする」ことです。
「心と思いをひとつにする」これは簡単なようでなかなか難しいものです。礼拝で同じ説教を聞き、同じ讃美歌を歌っても、必ずしも心が一つになるわけではありません。
相変わらず、自分は自分、人は人という距離感のまま生きていけるからです。
つまり日曜日だけ、形式的にクリスチャンという「仲間になる」という感覚。
残念ながら、こういうことは比較的容易であり、それである程度満足できてしまうことも
あります。
でも、イエス様が願っていることは、もう少し奥深い、もっと現実的に人間関係を豊かにし、生きていることをもっともっと充実させることができる一体感について語っておられるのだと思います。
ちょっと横道に逸れますが・
わたしの著書「生きるを励ますアート」に寄稿してくださった永原伸彦先生の文章を何度も読み直して感動しています。
【心の蓋と垣根】 永原先生の寄稿文 「生きるを励ますアート」より
抜粋します。
カール・ロジャーズ(1902−1987)は日本でもっともよく知られているカウンセラーです。カウンセリングの基礎を築いた人です。
彼を有名にした「カウンセラーの3条件」というのがあります。
これはカウンセラーの態度の基本的在り方をいったもので、「純粋性」「受容」「共感」と
言うのがその3条件(中核3条件ともいいます。)です。
その中の「共感的理解」(empethic understanding)と言う態度はカウンセラーが
クライエントの心の内側に潜り込んで、いいわば、その人の瞳になってこの世界を観ようと
する態度のことです。
「もしその人の心になることができたら、この世界はどのように感じられている
のだろうか」という心の姿勢のことです。「その人の心を分かり切ることなどできない。だからこそ、その人の心を分かりたい、受けとめたいという心の姿勢こそ最も援助的なのだ」とロジャーズは考えました。
・・
お互いが五感をフル稼働させながら、「共感的理解」が進み、「相互交流」が深まっていくのです。
茨城キリスト教大学教授でカウンセリング心理学が専門だった故鈴木研二先生の提唱された「蓋(ふた)と垣根」の理論によると前述したロジャーズの3条件などが整えられてくる時、それによってクライエントの「心の蓋が開く(あく)」というのです。
「心の蓋は(自ずから)開く」のであって、「心の蓋を開ける」のではありません。
開けようとすると却って「閉まる」のです。
この理論の最大のポイントは、「心の蓋が開く」ことと「垣根が下がっていく」ことは同時に起きている、「蓋と垣根は一緒に動く」と言っているところです。
心が開放されていくとき、両者の間にある垣根は限りなく低くなっていく。
もし、五感を豊かに働かせ「聖書の言葉」と向き合い、心が開かれていくことを経験し、それらを分かち合い、「相互交流」を豊かなものにしていくことができたら、お互いの心の蓋は開いていき、垣根が下がっていき、より深い、そして純粋な分かち合いと一体感がうまれるのだと思います。それはバイブルワークショップや礼拝前の黙想会でのできごとによってもある程度実証済みと言えると思います。
「心の蓋は(自ずから)開く」のであって、「心の蓋を開ける」のではありません。
開けようとすると却って「閉まる」のです。
無理強いを含めた「分かち合い」「祈りの課題の提出」によっては心を開くことは難しくなるでしょう。一緒に感動を共有し、それを無理強いではなく分かち合えた時、心の蓋が開き、同時に双方を隔てていた垣根が下がるのです。
礼拝が喜びの体験になっていればいいなと思います。
み言葉の解きあかしが心の喜びにつながり、誰かとそのことについて分かち合いたいという気持ちになればいいなと思います。
3)真理による聖別と派遣
弟子たちが「世から連れ去られる」のではなく、「世の中に遣わされる」存在として、真理である御言葉によって聖別され(整えられ)、自らの使命へ向かうための献身(17〜19節)。
イエス様を信じて心豊かにされたら、その心をしっかり保持しながらこの世の中で生きていかなければなりません。
教会の交わりの中にとどまることは大事なのですが、それが私たちの生活のすべてではありません。
私たちにはこの世の中に場所があり、役割があります。
教会はおそらく補給基地的な意味があるかもしれませんし、自己点検の場所かもしれません。
この教会のために命をかけるのではなく、それぞれの社会における居場所をしっかり
神様の祝福で満たしていく、神様の真理を生きることで清潔にしていくことが求められています。
ずっと、礼拝の気分の中に留まっていたいという気持ちは理解できますが、実際にはそれは
健全ではありません。私たちはまだ、まだ、しばらく、世の中に居場所があるからです。
イエス様は、弟子たちの中にそういう姿勢が保たれるように父なる神様に祈っています。
教会には卒業はありません。ですから何歳になっても他者と一緒に礼拝するチャンスは残されています。しかし、神に遣わされた人間ですから、世の中に居場所がある人間としての自覚を失ってはいけないのです。