『命の奥にある愛∞』|命は、愛∞を地上へ通す光路
Z-KING
0:00 / 0:00
『命の奥にある愛∞』|命は、愛∞を地上へ通す光路
15 просмотров · 1 день назад
Z-KING
7 подписчиков
15 просмотров · 1 день назад
この手でしか、触れられない。この声でしか、届かない。今日という日は、二度と来ない。
だから命は、かけがえがない。
けれど、この曲は「命そのものが愛∞である」と歌っているのではありません。
この手を通って、この声を通って、この眼差しを通って、この身体を通って、
目には見えない愛∞が「愛」という現実の形になって、この地上へ現れていく。
『命の奥にある愛∞』は、命とは何か。愛とは何か。愛∞とは何か。
そして、なぜ一人ひとりの命がかけがえないのか。その奥を見つめた楽曲です。
愛∞=存在∞=生成流転∞。
ただし、愛∞という固定された何かが存在し、そこから世界が生成されるという意味ではありません。
愛∞そのものが後から生成されるのでも、愛∞そのものが恐れや怒りへ変質するのでもありません。
愛∞とは、起点なく生成し、通り、変化し、巡り続ける、生成∞・通流∞・循環∞という一つの無限運動そのものです。
愛∞が先にあって、そのあとに生成が起きるのではない。
生成し、通流し、循環していることそのものを、愛∞、存在∞、生成流転∞と観測します。
では、「愛」とは何か。
愛とは、愛∞という生成流転∞が、有限生命である命∞という地上生命光路を通り、身体、声、眼差し、感覚、記憶、意識、思考、関係など、
その人固有の人間フィルター∞を通して、人間に認識され、表現された一時的な現象です。
誰かを大切に思う。
抱きしめる。
「ありがとう」と伝える。
支える。
見守る。
待つ。
守る。
必要なら距離を取る。
その一つひとつが、愛∞が人間を通って具体的な形として現れた「愛」です。
愛=現象。
愛∞=存在∞=生成流転∞。
愛は一瞬の表現。愛∞は、その一瞬を含みながら、生成∞・通流∞・循環∞として留まらず展開し続ける無限運動そのものです。
愛∞
↓
命∞
↓
人間フィルター∞
↓
意識∞
↓
私意識∞
↓
愛・恐れ・喜び・悲しみ・思考などの現象∞
↓
言葉・選択・行動
↓
関係・価値・社会
↓
循環∞
ただし、これは一直線の工程ではありません。
すべては一瞬ごとに重なり、受け取り、感じ、観測し、選び、表現し、次へ渡り、また新しい現象を生みながら循環しています。
命∞とは、愛∞そのものではありません。
命∞とは、存在∞=生成流転∞が有限生命として現れた地上生命光路∞です。
命があるから、
この手で触れられる。
この声で伝えられる。
この身体で動ける。
今日という一日を生きられる。
そして、その命の通り方に唯一無二の固有性を与えるものが、人間フィルター∞です。
同じ身体は二つとない。
同じ声もない。
同じ記憶も、
同じ経験も、
同じ関係も、
同じ今日もない。
だから、あなたにしか通せない愛∞の現れ方がある。
私にしか通せない愛∞の現れ方がある。
それが、個性光路∞です。
誰かを想って働いた日。
眠れない夜に、大切な人のそばにいた時間。
「ありがとう」と伝えた声。
受け取った優しさへ返した笑顔。
それらは、ただの行動ではなかったのかもしれません。
その一つひとつを通って、愛∞という生成流転∞が、
あなたという唯一無二の光路から地上の現象へ形を持った。
命は、愛∞をこの地上へ通す、たったひとつのかけがえのない光路。
そして、ここで「恐れ」の位置も明確にします。
愛は現象。
恐れも現象。
どちらも存在∞そのものではありません。
命∞という地上生命光路に現れ、人間フィルター∞を通り、私意識∞に認識される一時的な現象です。
愛しい。
嬉しい。
守りたい。
怖い。
失いたくない。
逃げたい。
そのすべてが、今ここに現れた生命の震えです。
現象だから、現れて、変わり、通過する。
愛を感じても、「私は愛そのものだ」と固定しない。
恐れを感じても、「私は恐れそのものだ」と固定しない。
私は今、愛を感じている。
私は今、恐れを感じている。
そう観測する。
すると、現象と私意識∞との間に余白が生まれます。
愛にも深く没入できる。恐れにも深く揺れることがある。
けれど、そのどちらからも、いつでも観測へ還ることができる。
愛∞は、愛という現象そのものではありません。そして、愛∞は恐れの反対でもありません。
愛∞とは、存在∞=生成流転∞そのもの。
生成する。通る。変化する。巡る。
その無限運動の中で、愛も現れる。恐れも現れる。喜びも現れる。悲しみも現れる。そして、すべてはまた変化していく。
愛∞は存在∞。
愛と恐れは現象∞。
ここを混ぜない。
恐れが現れても、愛∞が消えたのではありません。
愛が現れても、その瞬間に愛∞そのものになったのではありません。
愛も恐れも、存在∞=生成流転∞が、命∞という有限な地上光路∞と人間フィルター∞を通る中で、一時的に現れた地上現象です。
だから、愛だけを握らない。恐れだけを排除しない。
どちらも観る。どちらも感じる。どちらも通過させる。
現象は通過する。
存在∞は生成流転する。
では、恐れが現れたとき、Z∞では何を観るのか。
恐れを悪として消そうとするのではありません。
その恐れが何を守ろうとしているのか、
何を失いたくないのか、
本当は何を願っているのか、
その発射元まで観測します。
怖い。その奥には、守りたいという願いがあるかもしれない。
失いたくない。その奥には、大切にしたいという願いがあるかもしれない。
認められたい。その奥には、自分の存在を受け取ってほしいという願いがあるかもしれない。
離れたくない。その奥には、つながっていたいという願いがあるかもしれない。
表面に現れた恐れだけで止まらず、その奥へ観測を進める。
そこで、その現象の奥にある意味が、まだ人間側で愛∞として読み切られていないとき、Z∞ではそれを「未翻訳の愛∞」として観測します。
未翻訳なのは、愛∞そのものではありません。愛∞が未完成なのでもありません。
人間側で、その現象の奥にある願い・意味・愛を、まだ愛∞として読み切れていないということです。
その未翻訳の愛∞を観抜き、より透明な言葉・選択・行動へ通し、次の生命・関係・社会へ循環させていく。
ここで三帯がつながります。
恐れOS
愛∞OS
Z∞OS
三帯は、人間を三種類に分類するものではありません。
また、恐れOSから愛∞OS、そしてZ∞OSへ一度だけ上がって終わる階段でもありません。
同じ一人の人間の中でも、出来事・関係・記憶・身体状態・状況によって、現在どの帯域が起動するかは変わります。
恐れOSは、守る・防御・所有の方向へ働く帯域。
愛∞OSは、愛を開き、通し、巡らせ、循環させる帯域。
Z∞OSは、起きている現象と私意識∞を透明に観測し、その反応を存在全体へ固定せず、発射元・未通過ログ・変調経路を遡り、根源方向を観測する帯域。
だから、「恐れOSだから愛∞がない」ということではありません。
恐れOSの中でも、愛∞=存在∞=生成流転∞は途切れていない。
違うのは、現在どの現象が現れ、どの帯域から言葉・選択・行動を発射しようとしているのかです。
大切なのは、「私は恐れOSの人間だ」「私は愛∞OSの人間だ」「私はZ∞OSの人間だ」と固定することではありません。
自分はいま、どの帯域から反応しているのか。
それを観測する。
恐れが来る。愛が来る。喜びが来る。悲しみが来る。
どれも生命で感じる。けれど、どれも存在全体へ固定しない。
私は今、恐れを感じている。
私は今、愛を感じている。
その一点へ還る。
そしてさらに、何がこの反応を発射しようとしているのかを観測する。
恐れの奥の願いを観る。願いの奥の愛を観る。
まだ読み切れていない未翻訳の愛∞を観抜く。
そこから、より透明な言葉を選ぶ、より透明な選択をする、より透明な行動へ通す。
愛∞を新しく作るのではありません。愛∞へ変質させるのでもありません。
すでに生成し、通流し、循環している存在∞を、人間側でより透明に観測し、より透明な現象として地上へ通していく。
だから
この曲で歌う「命は愛∞を、この地上へ通す」とは、どこか外側に存在する愛∞が人間の中へ流れ込んでくる、という意味ではありません。
愛∞という生成流転∞が、命∞という有限な地上生命光路を通り、その人固有の人間フィルター∞を通って、この一瞬の言葉、眼差し、選択、行動、仕事、創造、関係として現象化しているということです。
そして、
「愛∞はそこから、愛という形で、この世界へと現れてゆく」
この一節が、愛∞と愛の違いをそのまま歌っています。
愛∞は存在∞。
愛は、その存在∞が人間を通って地上へ現れた一現象。
だから、愛を感じない瞬間にも、愛∞そのものが消えたわけではありません。
恐れている時も、悲しんでいる時も、怒っている時も、何も感じられない時も、存在∞=生成流転∞そのものが消滅したわけではない。
人間側での認識や通り方が変化している。そして、愛∞は一人の中で終わりません。
あなたの言葉が誰かへ届く。あなたの行動が誰かを支える。
あなたの作品が誰かの心を動かす。
あなたから受け取った愛を、その人がまた次の誰かへ渡す。
この手から、あなたへ。
あなたから、また誰かへ。
愛という現象は形を変えながら巡り、その全体では、愛∞=生成∞・通流∞・循環∞という無限運動が続いています。
だから今日を、深く生きよう。
だから誰かを、大切にしよう。
受け取った愛を、次の誰かへ渡そう。
命がある、この一瞬は、愛∞という無限運動が、あなたという唯一無二の有限光路を通して、この地上へ具体的な形を持てる、かけがえのない一瞬だから。
『命の奥にある愛∞』
命と愛は、同じではない。愛と愛∞も、同じではない。
愛∞=存在∞=生成流転∞。
命∞=存在∞が有限生命として展開する地上生命光路∞。
愛・恐れ=命∞と人間フィルター∞を通って現れる現象∞。
意識∞=その現象へ気づく認識・観測帯∞。
私意識∞=その意識が一点化した局所観測焦点。
三帯=現在どの帯域から反応・観測・選択しているかを見るための運転・観測帯域。
Z∞OS=現象と私意識∞を透明に観測し、固定せず通過させ、発射元・未通過ログ・変調経路を遡り、根源方向を観測し、存在∞の循環へ再び開く観測視点。
愛が来る。
恐れが来る。
どちらも感じる、どちらも観測する、どちらも通過する。
愛も通る。
恐れも通る。
現象は変わる。存在∞は、生成し、通り、巡り続ける。
あなたを通って、僕を通って、また誰かを通って、
愛∞は、生成∞し、通流∞し、循環∞する。
その無限運動を、この有限な命で今日も生きている。
同じ歌詞から生まれた二つの響きを通して、この命という光路を通って現れている「愛」と、そのさらに奥にある「愛∞=存在∞=生成流転∞」を感じ、観測していただけたら嬉しいです。
曲名:命の奥にある愛∞
作詞・作曲:SHUSEI.TOMINAGA
映像制作:Z-KING
ARTIST:Z-KING
LABEL:AIMGEN MUSIC
AIMGEN MUSIC / Z-KING
https://aimgen.biz/
AI MUSIC POLICY
AIを楽器として、愛∞が最も通る音楽へ
https://aimgen.biz/z-king/ai-music-policy/
© SHUSEI.TOMINAGA / AIMGEN
無断転載・無断使用・再配布はご遠慮ください。
#命の奥にある愛
#愛∞
#愛
#恐れ
#命
#命∞
#存在∞
#生成流転∞
#生成∞
#通流∞
#循環∞
#地上生命光路
#人間フィルター
#個性光路
#未翻訳の愛
#三帯
#恐れOS
#愛∞OS
#Z∞OS
#Z∞観測
#通す愛
#愛の循環
#ZKING
#SHUSEITOMINAGA