【京都郡みやこ町】鷹崛大権現から針の耳(前編)#おでかけ#ゆぅすぅ部#京都郡
ゆぅすぅ部
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【京都郡みやこ町】鷹崛大権現から針の耳(前編)#おでかけ#ゆぅすぅ部#京都郡
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【鷹崛大権現(たかくつだいごんげん)】
福岡県京都郡みやこ町犀川伊良原・岩屋河内の山中にある「鷹崛大権現」
🦅公共交通機関は有りません
🦅無料駐車場(3台程度)
🦅トイレ無し
🦅駐車場から社まで15分程度
🦅滑りにくい靴は必須
🦅スロープは有るが土砂崩れで1部通行止め
🦅ナビは【鷹崛大権現】で検索
巨大な岩壁と自然にできた岩窟を利用した、英彦山修験道と深い関わりを持つ霊場です。
かつて英彦山の山中やその周辺には、修験者たちが修行を行った岩窟が数多く存在し、その中でも特に重要な場所が「彦山四十九窟(ひこさんしじゅうくつ)」として伝えられています。
鷹崛は、その「第十一窟」とされています。
【鷹崛に伝わる三羽の鷹の伝説】
江戸時代の『鷹崛由来略記』などには、鷹崛の始まりについて不思議な伝承が残されています。
平安時代初期、英彦山の羅運上人(らうんしょうにん)がこの岩窟に籠もって修行していた時のこと。
ある夜、羅運上人は不思議な夢を見ます。
夢の中で童子が現れ、その後、三所権現(さんしょごんげん)の姿を目にしたと伝えられています。
そして夢から覚めると、三羽の鷹が飛来。
すると目の前の岩壁が扉のように開き、三羽の鷹がその中へ入ると、岩壁は再び元のように閉じたといいます。
この「霊鷹の奇瑞(れいようのきずい)」によって、この岩窟は「鷹崛」と呼ばれるようになったと伝えられています。
伝承では弘仁4年(813年)、羅運上人がこの地に社壇を設け、三所権現を祀ったとされています。
※813年の創建や三羽の鷹の物語は、後世に伝えられた由緒・伝承によるもので、現在確認できる同時代史料によって歴史的事実として証明されたものではありません。
【祀られている三所権現】
鷹崛では、英彦山信仰と関係する「三所権現」が祀られてきました。
・伊弉冉尊(いざなみのみこと)
・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
・天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
※史料・現地資料では「天忍骨尊」などの表記も見られます。
これは英彦山の三つの峰と結び付いた信仰で、神道と仏教が融合した「神仏習合」の時代には、それぞれの神と仏が対応する形で信仰されていました。
【英彦山修験道との関係】
鷹崛は単なる山中の小さな神社ではなく、かつて英彦山を中心に広がっていた修験道の世界を伝える場所の一つです。
古くは英彦山の福泉坊が鷹崛の祭祀に関わり、その後は蔵持山の梅本坊が社務を受け継いだと伝えられています。
寛文11年(1671年)の『鷹崛由来略記』や、翌寛文12年(1672年)の神殿再建に関する記録などから、少なくとも江戸時代には「鷹崛三所大権現」として信仰されていたことが史料から確認できます。
明治時代の神仏分離などを経ながらも、鷹崛の信仰は地域の人々によって受け継がれてきました。
【現在の鷹崛】
現在も巨大な岩壁の下に小さな社が鎮座しています。
近年には社殿前の木製デッキや階段なども整備され、以前の姿と比べると安全に参拝できるようになっています。
しかし周囲を覆う巨大な岩壁や岩窟そのものは、かつて修験者たちがこの山に入った時代を想像させる独特の景観を残しています。
歴史として確認できるもの。
後世に伝えられてきた伝承。
そして、今もそこに残る巨大な岩窟。
そのすべてが重なっているのが「鷹崛大権現」という場所なのかもしれません。
■所在地
福岡県京都郡みやこ町犀川伊良原 岩屋河内
※山中の霊場です。訪れる際は天候や足元の状態に十分注意し、地域や信仰の場への配慮をお願いいたします。
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