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西郷隆盛がほれた幕臣・勝海舟 なぜ無役の旗本が海軍を任されたのか

歴史をそばで。

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西郷隆盛がほれた幕臣・勝海舟 なぜ無役の旗本が海軍を任されたのか

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1864年9月、大坂。 薩摩の西郷隆盛が、幕府の役人・勝海舟を訪ねます。議論で打ち負かすつもりで来た西郷は、5日後の手紙にこう書きました。「ひどくほれ申し候」。 その11年前まで、勝は役のない旗本でした。なぜ、無役の旗本が幕府の海軍を任されることになったのか。 ▶後編 江戸無血開城と勝海舟 町を焼くと日記に書いた男は、なぜ城を明け渡したのか    • 江戸無血開城と勝海舟 町を焼くと日記に書いた男は、なぜ城を明け渡したのか   ▶これまでの動画 アウグストゥスはなぜ、18歳でカエサルの名を継いだのか    • アウグストゥスはなぜ、18歳でカエサルの名を継いだのか   アウグストゥスはどうやってローマ帝国初代皇帝になったのか    • アウグストゥスはどうやってローマ帝国初代皇帝になったのか   カエサルはなぜ祖国に戦争を仕掛けたのか?|ルビコン川の決断    • カエサルはなぜ祖国に戦争を仕掛けたのか?|ルビコン川の決断【AI再現】   ブルータスはなぜ、赦してくれたカエサルを裏切ったのか    • ブルータスはなぜ、赦してくれたカエサルを裏切ったのか   クレオパトラはなぜ、息子を「カエサル」と呼ばせたのか    • クレオパトラはなぜ、息子を「カエサル」と呼ばせたのか   歴史チャンネル「歴史をそばで。|歴史の決断を追体験」— 世界をつくった人を、そばで見てみる。 案内役の栞(しおり)と一緒に、記録に残る「本当にあった日」の中へ入ります。 ■今夜の話 勝海舟の前編です。黒船の年の意見書から、長崎の海軍伝習、咸臨丸の太平洋、神戸に開いた学校、そして1864年の西郷隆盛との初めての会見まで。幕府の役人でありながら、藩を離れた浪人まで受け入れた男が、なぜ役を追われたのか。後編は、1868年、新政府軍の総攻撃を前にした江戸の町へ続きます。 ■あなたが立ち止まる場面 決断(1863年)― 幕府の家来だけに教える/藩を離れた浪人にも教える あなたが勝なら、どうしましたか。コメントで聞かせてください。 ■チャプター 00:00 序章:1864年9月 大坂 00:49 栞の案内 01:08 黒船の年、無役の旗本の意見書 03:51 長崎で、もう一度習う側に戻る 05:42 咸臨丸、太平洋を渡りきれるか 07:03 龍馬が「日本第一」と書いた男 08:26 決断:海軍を学ぶ道を、どこまで開くか 08:58 神戸の浜で、将軍に願い出る 12:08 西郷隆盛に、幕府の弱みを明かす 16:24 神戸の若者が、日本を動かす 17:44 栞の締め ■創作の範囲 ・出来事は記録(勝の日記、勝が後年に書いた『海軍歴史』、西郷の手紙、公的機関の解説)に残るものだけを使っています。 ・場面は「勝のすぐそばで見ている目」で描いています。場面の細部(意見書を書く夜、辞書を写す手元、神戸の浜の並び方など)は演出です。 ・勝の台詞「読めねえままじゃ、先へ進めねえ」「船のことは、船を知ってる者に習うさ」「この海を、一人で守れるものか」は、筆写・海軍伝習・海軍構想の記録から組み立てたもので、勝の発言記録ではありません。 ・西郷との会見の中身は、西郷が大久保利通に宛てた手紙(1864年旧9月16日付)にまとめられた要旨で、実際の発言の順序は分かりません。会見の場での会話は再現していません。 ■記録の食い違い・補足 ・意見書を幕府の誰が目に留めたかは、研究では大久保忠寛(一翁)が先に目を留め、岩瀬忠震が推し、老中・阿部正弘が取り立てたと説明されます(『維新史』1939年)。『維新史』が勝の意見を「時流に超越した意見」と評したのは1939年の編纂者の評価で、当時の選考者の判定ではありません。交易・海軍・人材の案はほかの論者にもあり、勝だけの発想ではありません。 ・辞書の借り賃「1年10両」は勝の伝記の編者の記述によります。辞書の巻末の文(1848年)は後年の刊本が引いた形で読めます。 ・長崎に残った経緯は、勝が後年の『海軍歴史』で記した説明によります。相談は伝習所の総監・永井尚志を通じた教師側の希望で、ほかにも数人の生徒が残りました。 ・咸臨丸の航海では、責任者は軍艦奉行・木村喜毅、アメリカ側のブルック大尉らの同乗を頼んだのも木村と説明されます。勝一人の航海術で渡ったのではありません。 ・1863年の日記の「海軍は国を守る急務」は、長州の桂小五郎らと話した日の記事で、神戸に人を集めた理由を直接述べた文ではありません。 ・神戸の学校の資金は、龍馬が福井藩から借り出したもので、勝個人の私財ではありません。金額は言っていません。福井藩には前の年、勝の弟子の龍馬・近藤長次郎が海軍の計画を説いていました(福井県文書館)。 ・勝が浪人を受け入れた理由を本人が明言した記録は確認できていません。「幕府より日本全体のまとまりを重んじた」と見る研究者もいます(池田敬正)。 ・池田屋の望月亀弥太は、負傷して逃れたのち命を落としました。禁門の変の日の西郷の行動は、確認できていません。 ・西郷の手紙が伝える勝の構想(賢明な大名4、5人の会盟・横浜と長崎の港は開き大坂湾は交渉で条約)には大名の名前がありません。「肥後と薩摩をはじめ四、五の藩」は、会見翌日の勝の発言を伝える別の記録によります。 ・会見から2か月後の罷免(1864年旧11月10日)の理由は、浪人をかくまったことが挙げられています(事典)。命令書に書かれた理由は確かめられておらず、西郷との会見が罷免の原因になったかは分かりません。会見の後、西郷は長州を従わせる交渉に関わり、この年の長州攻めは戦をせずに終わりました。 ・神戸に集まった「およそ200人」は神戸市立中央図書館の紹介による数で、幕府の学校と勝の塾の区別・重なりは分かりません。勝だけが全ての教育を行ったのではありません。 ・役を外されたあとも、勝は神戸の事業の後始末を続けました。神戸の龍馬たちは、薩摩藩の小松帯刀が大坂の屋敷にかくまいました。1866年、幕府は長州との戦いの中で勝を呼び戻しています。 この物語は、残された記録をもとに作っています。記録には食い違いがあります。間違いに気づいたら、ぜひ教えてください。 ■主な出典 ・勝海舟『海軍歴史』(1889年) ・勝海舟の日記(国立国会図書館「日記の世界」の翻刻・解説) https://www.ndl.go.jp/nikki/person/ka... ・『鹿児島県史料 忠義公史料』第3巻(西郷吉之助より大久保一蔵へ、1864年旧9月16日付書簡) ・勝田孫弥『西郷隆盛伝』第2巻(1895年・国立国会図書館デジタルコレクション) ・維新史料編纂事務局『維新史』第2巻(1939年) ・赤松則良『亜米利加行航海日記』(国立国会図書館「日記の世界」咸臨丸) ・国立国会図書館「近代日本人の肖像」勝海舟・西郷隆盛・坂本龍馬 https://www.ndl.go.jp/portrait/ ・大田区「勝海舟関連年表」「海舟特集」/神戸市立博物館だより120号/神戸市文化財保護審議会資料(2024年)/福井市立郷土歴史博物館「勝海舟」年表/文部科学省「海軍伝習所」 ■写真・AI生成について ・実物の写真・史料:勝海舟・西郷隆盛・坂本龍馬・陸奥宗光・伊東祐亨の肖像(国立国会図書館「近代日本人の肖像」・パブリックドメイン)/『海軍歴史』の表紙・『維新史』のページ(国立国会図書館デジタルコレクション)/江戸近海守衛之地図(1860年・東京都立中央図書館)・江戸切絵図「芝高輪辺絵図」(国立国会図書館)。一部トリミング・説明用の注記を加えています。 ・それ以外の画像は AI で生成したイメージです(場面画=Higgsfield(Nano Banana 2)、図解の原図・サムネイル=ChatGPT)。実在の資料映像・肖像ではありません。 ・地図は実際の地形データをもとに作図しています(地図データ:Natural Earth/国土地理院の標高タイル・ベクトルタイルを加工して作成)。海岸線は今の形で、埋立地を含みます。 ・案内役「栞」は AI で生成した架空の人物です。 ・音声はすべて音声合成です。 ■音声 ・栞(案内・語り):Google Gemini の音声合成を、VOICEVOX:冥鳴ひまり の声質に変換して使用 ・勝海舟の台詞:Google Gemini の音声合成 ・BGM:OpenTracks「プロジェクトα」(伊藤ケイスケ)/「ある島の静かな浜辺」(MAKOOTO)/「山道を行く」(ゆうり/Yuli Audio Craft)/「神様の道」(キュス)/「雪月花」(まんぼう二等兵)/「駅前での出来事」(Keido Honda) #歴史 #勝海舟 #西郷隆盛 #幕末 #坂本龍馬 #咸臨丸 #神戸海軍操練所 #日本史 #そばで見てみた