美川憲一 120万枚の頂点→温泉場で月3本、居場所をなくした17年——「おだまり」が生まれたのは、その宴会場でした
時代を語る声
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美川憲一 120万枚の頂点→温泉場で月3本、居場所をなくした17年——「おだまり」が生まれたのは、その宴会場でした
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#美川憲一 #さそり座の女 #昭和歌手
美川憲一 120万枚の頂点→温泉場で月3本、居場所をなくした17年——「おだまり」が生まれたのは、その宴会場でした
美川憲一さんには、一番歌いたくなかった歌があります。1966年に発売された『柳ヶ瀬ブルース』は120万枚を売り、日本に「ご当地ソング」という言葉を生みました。それから11年後、彼は歌う場所を失い、月に3本、温泉場の宴会場を回るようになります。いま日本中が笑いながら真似をする「おだまり」という一言が生まれたのは、その宴会場でした。なぜ美川憲一さんは、居場所をなくした17年のあいだ、それでも歌をやめなかったのでしょうか。そして、17年ぶりに大晦日の舞台へ彼を連れ戻したのは、いったい誰だったのでしょうか。信頼できる資料のみに基づき、丁寧に紐解いていきます。
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📌 目次
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オープニング — 1966年春、レコード会社の廊下で頭を下げた20歳
第1章「列車の中の約束」— 1946年、長野・諏訪。結婚を前提に、と言われた母
第2章「2歳の別れ」— 肺結核と、母の姉夫婦の家。母親がふたりになった日
第3章「運動会の背中」— 迎えに来た実の母を拒んだ子どもと、おぶって走った人
第4章「差し押さえの紙」— 養父の死、昼は保険・夜は料亭で働いた母
第5章「あんたの本当のお母さんは」— 中学1年、隣の人の一言と、母が残した言葉
第6章「3つの川」— 行ったこともない土地から与えられた、芸名の由来
第7章「歌いたくない歌」—「ヒット曲もないくせに、ふざけるな」と120万枚
第8章「消えていく仕事」— 電話が来なくなるという、消え方
第9章「月に、3本」— 箸と皿の音のほうが大きい夜と、「おだまり」
第10章「17年ぶりの、あの舞台」— 自ら頼みに行った日、そして地面に刻まれた歌
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📖 参考文献・出典
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1. 週刊女性PRIME「美川憲一が76歳を目前に語った宿命の背負い方、2人の母親の存在と『恨まない』信念」2022年
2. フジテレビ『バイキング』2016年9月7日放送(本人による回想/ふたりの母についての発言)
3. 日本クラウン シングル『柳ヶ瀬ブルース』発売記録 1966年4月1日(作詞作曲 宇佐英雄/編曲 小杉仁三)
4. 第3回 日本有線放送大賞 特別賞(1970年)
5. NHK『紅白歌合戦』出場記録(1966年〜1974年/第42回・1991年 復帰/2009年まで19年連続)
6. フジテレビ『オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦』1989年正月放送(「ご本人登場」第1号)
7. 大日本除虫菊『タンスにゴン』CM 1990年(ちあきなおみ 共演)
8. 柳ヶ瀬商店街 歌碑 建立記録(1991年)/新潟・万代橋『新潟ブルース』歌碑(1990年)
9. デビュー25周年記念リサイタル(メルパルクホール、1990年)
10. Wikipedia日本語版「美川憲一」「柳ヶ瀬ブルース」「淡谷のり子」(各出典を辿って確認)
※ 月あたりの公演本数、「おだまり」の由来、淡谷のり子さんの嘆願書については、複数の記事が伝えているものであり、断定を避けて「と言われています」で統一しています。
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