2021年7月20日この日、ニッポン放送で、18時30分から20時30分まで特別番組『三木鶏郎とニッポン放送』が放送されました。 #大瀧詠一 #大滝詠一 #三木鶏郎 #大森昭男 #CMソング
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2021年7月20日この日、ニッポン放送で、18時30分から20時30分まで特別番組『三木鶏郎とニッポン放送』が放送されました。 #大瀧詠一 #大滝詠一 #三木鶏郎 #大森昭男 #CMソング
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2021年7月20日
この日、ニッポン放送で、18時30分から20時30分まで特別番組『三木鶏郎とニッポン放送』が放送されました。
1954年に開局したニッポン放送では、開局2年後の1956年4月2日から1961年12月30日までの5年間にわたり、全1800回が放送された伝説の番組『トリロー・サンドイッチ』の音源が発見されたことをきっかけに、特別番組が企画されました。
また、番組内では、大瀧詠一さんが三木鶏郎さんにインタビューした際の秘蔵音源も初公開され、CMソングなどについての会話が紹介されました。
出演者
パーソナリティ:高田文夫
アシスタント:箱崎みどり(ニッポン放送アナウンサー)
ゲスト:泉麻人、鈴木慶一
【大瀧詠一さんと三木鶏郎さんの御縁】
人の縁や人生の流れとは、不思議なものです。
民間放送が始まらなければ、トリローさんもCMソングを作ることはなかったでしょう。
私の音楽キャリアのスタートはロックバンドでした。
3年で解散した後、ソロ活動を始めたのですが、一番最初に声をかけてくれたのがON・アソシエイツの大森昭男さんでした。
CMをやろうと思っていたわけではないのに、“流れで”CMを作ることになってしまった。
これはトリローさんも同じ気持ちだったと思います。
ただ、トリローさんの場合は“前史”がありませんでしたから、ご自身が開拓者となられたわけです。
私の場合は仕事の分野が違ったので、トリローさんが作られた“前史”を知りませんでした。
ところが大森さんは三木鶏郎門下!
もう最初に会った時点で、既に私は《CMの歴史》に組み込まれていて、大森昭男門下となった私は、栄誉ある三木鶏郎の“孫弟子”になっていたのでした。
大瀧詠一
(出典:アルバム『三木鶏郎 音楽作品集 トリロー・ソングス』(COCP-33435)ライナーノーツ)
【大瀧詠一さんによる三木鶏郎さんへのインタビュー】
本特番の制作中に、もう一つ貴重な音源が見つかった。
1984年7月18日、大瀧詠一さんが三木鶏郎さんにインタビューした音声の一部である。
場所は、かつて九段にあったトリビルのプライベートスタジオ。
音楽プロデューサーとして三木鶏郎さんのもとにいらした大森昭男さんも同席されており、大森さんの声も聞くことができる。
当時70歳だった鶏郎先生は、大瀧さんとの面会をとても喜んでいたようだ。
同日の日誌には、
「大瀧さん35歳。同じ感覚の人と見た。音楽は新しい響きを持つ。私の時代が終わったという感じはビートルズを初めて聴いたときに持ったが、今さらながらそれを感じ、新鮮な空気に触れた思いで、その若さに拍手を送りたい」
と記している。
実は、鶏郎先生の逝去後に分かったことだが、大森さんも大瀧さんもご存じなかったものの、三木鶏郎さん最後のCMソングの収録は1973年2月だった。そして、大森さんが大瀧さんにサイダーのCMソングを依頼したのは、その1か月前だった。
つまり、三木鶏郎さんは実際に大瀧さんへバトンタッチしていたことになる。
大瀧さんも何かご縁を感じていらしたのではないだろうか。
(出典:ウェブメディア『週刊てりとりぃ』2021年7月16日)
※補足
大瀧詠一さんによる三木鶏郎さんへのインタビューのコーナーは、1時間36分頃から始まります。
動画のサムネイルは、1984年7月18日に大瀧詠一さんが三木鶏郎さんへインタビューするため、三木鶏郎企画研究所を訪れた際に撮影された写真です。
(出典:アルバム『三木鶏郎 音楽作品集 トリロー・ソングス』(COCP-33435)ライナーノーツ、ウェブメディア『週刊てりとりぃ』2021年7月16日)
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