【井筒三兄弟】父の死に目にも、母の死に目にも、一人も間に合わなかった ― それでも兄の最期は、弟二人で看取った
相撲伝説と闇
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【井筒三兄弟】父の死に目にも、母の死に目にも、一人も間に合わなかった ― それでも兄の最期は、弟二人で看取った
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「【わずか4年で三兄弟全員が逝った】井筒三兄弟 | 母の旧姓を背負った"寺尾"、194年ぶりの兄弟幕内——鹿児島の名門一家、栄光と喪失の全記録」
動画概要欄
2023年(令和5年)12月17日。 元関脇・寺尾——錣山親方、死去。享年60。 その訃報に、日本中が涙した。 だが、悲しみはそれだけではなかった。 2019年9月、次兄・逆鉾。 2020年3月、長兄・鶴嶺山。 そして2023年12月、末弟・寺尾—— わずか4年あまりの間に、あの「井筒三兄弟」の全員が、この世を去ったのである。 鹿児島の後援者は、こう呟いた。 「一つの時代が、終わったようで寂しい」——。
井筒三兄弟。 "もろ差し名人"と謳われた父・鶴ヶ嶺のもとに生まれ、 三人揃って父の部屋から土俵に上がり、 194年ぶりの「兄弟幕内」を成し遂げた、大相撲史に輝く名門一家。 その絆の中心には、いつも一人の女性がいた—— 末弟が四股名に刻んだ、母である。 鹿児島・加治木が生んだ相撲一家の、栄光と喪失のすべてを徹底解剖する。
物語は、父から始まる。 元関脇・鶴ヶ嶺昭男——鹿児島県姶良郡加治木町の出身。 両差しを得意とし、「もろ差し名人」と呼ばれた技能相撲の体現者である。 その証が、技能賞10回という歴代最多級の大記録。 さらに一家の血筋を辿れば、第25代横綱・西ノ海に連なる、薩摩相撲の名門だった。 引退後は井筒部屋の師匠として、後進の育成にあたる。 そして——彼の最高傑作は、他ならぬ三人の息子たちだった。
東京・墨田区に生まれ、父の故郷・加治木を背負った三兄弟。 長男・好政(よしまさ)は1975年3月、中学卒業と同時に父の部屋へ入門する。 同期には、後の大関若嶋津、そして同部屋・同学年・同郷の霧島がいた。 四股名は鶴嶺山——父の「鶴」を受け継いだ名である。
次男・好昭(よしあき)も中学卒業後すぐの入門を望んだ。 だが、身体の小ささを理由に、兄・鶴嶺山が猛反対。 「高校へ行け」——兄の言葉に従い目黒高校へ進んだ好昭は、 身体を作ってから父の門を叩き、四股名逆鉾を名乗る。 父譲りのもろ差しを武器に、やがて関脇まで昇進—— 技能賞を重ね、「親子二代のもろ差し」と角界を沸かせた。
そして——末弟・好文(よしふみ)の入門には、 一家の深い悲しみが刻まれている。 好文が土俵を志したのは、母がこの世を去った、まさにその直後だった。 厳格で知られ、「何かあればまず息子から叱る」と公言していた父・井筒親方も、 母を亡くしたばかりの末っ子にだけは、どうしても厳しくなりきれなかったという。 そして好文が選んだ四股名は——「寺尾」。 それは、亡き母の旧姓だった。 (母方の祖父・元幕下の加賀錦の本名も「寺尾」である) 母さんと一緒に、土俵に上がる—— 細身の身体にソップ型の闘志を宿した末弟は、 母の名を背負って、23年間、土俵で闘い続けることになる。
三兄弟の挑戦は、角界の名物となった。 1984年、父の還暦土俵入りで親父を三人で担いだ記念写真は、一家の絆の象徴として語り草に。 長男・鶴嶺山は十両昇進を果たし、兄弟揃っての関取として故郷を沸かせた。 そして寺尾が新入幕を決めたとき、角界は騒然となる—— 逆鉾・寺尾の**「兄弟幕内」は、実に194年ぶり**の快挙だったのである。 加治木の後援会は沸き立ち、激励会には少年たちが詰めかけた。 「姶良郡加治木町出身、井筒部屋」—— 場内アナウンスに乗るその口上は、郷土の誇りそのものだった。
土俵の上の二人は、対照的だった。 兄・逆鉾は、父譲りの両差しからじっくり攻める技能派。 弟・寺尾は、細身から繰り出す回転の速い突っ張り—— 闘志を剥き出しに年上の大物へ向かっていく姿は、 女性ファンを熱狂させ、**「土俵の鉄人」**として39歳まで現役を貫いた。 兄弟合わせて関脇、殊勲・敢闘・技能の三賞の数々—— 井筒三兄弟は、昭和末期から平成の大相撲を彩り続けた。
引退後も、兄弟は土俵に生き続けた。 逆鉾は14代井筒親方として部屋を継承し、 モンゴルから来た一人の青年を、横綱へと育て上げる—— 第71代横綱・鶴竜である。 寺尾は錣山部屋を興し、阿炎らを関取に育てた。 長男・鶴嶺山は両国に**ちゃんこ店「寺尾」**を開く—— 店名もまた、母の旧姓だった。
だが——別れは、あまりにも突然に、あまりにも連続して訪れた。 2019年9月16日、井筒親方(逆鉾)死去。享年58。 名古屋場所後に糖尿病の悪化から膵臓がんが発覚し、わずか1か月足らずの急逝だった。 主を失った名門・井筒部屋は閉鎖され、横綱・鶴竜は陸奥部屋へ—— 井筒の看板が、土俵から消えた。 そのわずか半年後の2020年3月28日—— 長兄・鶴嶺山が急性心不全で死去。享年60。 前日まで、ちゃんこ店「寺尾」でいつも通り客をもてなしていたという。 そして2023年12月17日—— 最後に残った末弟・錣山親方(寺尾)が、逝った。享年60。 わずか4年あまり。三兄弟は、全員この世を去った。
訃報に接した故郷・加治木の人々は、言葉を失った。 「鶴ヶ嶺と三兄弟が、みんな亡くなった。一つの時代が終わったようだ」——。 だが、彼らが遺したものは、確かに生きている。 鶴竜が、阿炎が、錣山部屋の若者たちが、 そして両国のちゃんこ店に灯る**「寺尾」の暖簾**が—— 母の名と共に、井筒の魂を今に伝えている。
このエピソードでは、井筒三兄弟の「全記録」——もろ差し名人の父・鶴ヶ嶺、三者三様の入門、母の死と四股名「寺尾」の由来、194年ぶりの兄弟幕内、鶴竜と阿炎を育てた師匠時代、そして4年間で失われた三つの命までを、資料と証言をもとに紐解いていきます。
▼このエピソードで語られる内容 ・"もろ差し名人"父・鶴ヶ嶺と技能賞10回の金字塔 ・第25代横綱・西ノ海に連なる薩摩相撲の血筋 ・鹿児島・加治木を背負った墨田生まれの三兄弟 ・1975年、長男・鶴嶺山の入門(若嶋津・霧島と同期) ・次男の入門を止めた兄——「高校へ行け」 ・目黒高校を経て入門した逆鉾 ・父譲りのもろ差しで関脇へ——親子二代の技能相撲 ・母の死の直後に入門した末弟 ・厳格な父が末っ子にだけ厳しくなれなかった理由 ・四股名「寺尾」——亡き母の旧姓を背負って ・1984年、還暦土俵入りで父を担いだ三兄弟 ・鶴嶺山の十両昇進と兄弟関取の誇り ・194年ぶりの「兄弟幕内」達成 ・加治木の激励会と「井筒部屋」の場内口上 ・技能派の兄・逆鉾と回転突っ張りの弟・寺尾 ・39歳まで闘った「土俵の鉄人」 ・14代井筒として鶴竜を横綱に育てた逆鉾 ・錣山部屋で阿炎を育てた寺尾 ・ちゃんこ店「寺尾」——店名もまた母の名 ・2019年9月、逆鉾死去——膵臓がん、58歳 ・閉鎖された井筒部屋と消えた看板 ・半年後、鶴嶺山急逝——60歳 ・2023年12月、寺尾死去——最後の一人も ・4年あまりで失われた三兄弟 ・「一つの時代が終わった」——加治木の声 ・鶴竜・阿炎・暖簾に生き続ける井筒の魂
この動画は、栄光の裏に隠された「相撲伝説と闇」を、敬意を持って掘り下げるシリーズの一編です。
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参考文献・出典(信頼できる公式ソース)
【最優先1a】寺尾常史 - Wikipedia(日本語版)
逆鉾昭廣 - Wikipedia(日本語版)
鶴嶺山宝一 - Wikipedia(日本語版)
鶴ヶ嶺昭男 - Wikipedia(日本語版)(もろ差し名人・技能賞10回・井筒部屋の項)
南日本新聞(373news)「井筒3兄弟、寺尾まで…194年ぶり兄弟幕内、誇らしかった『姶良郡加治木町出身、井筒部屋』錣山親方の訃報悼む」(2023年12月18日)
日本相撲協会 公式サイト「力士プロフィール 寺尾 常史/逆鉾 昭廣」・訃報関連発表
コトバンク(講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus)「寺尾常史」「逆鉾昭廣」「鶴ケ嶺昭男」
鶴竜力三郎 - Wikipedia(日本語版)(井筒部屋・師匠逆鉾・部屋閉鎖の項)
NHK・日刊スポーツ・スポーツ報知 各訃報報道(2019年9月・2020年3月・2023年12月)
相撲データベース SumoDB「寺尾 常史」「逆鉾 昭廣」「鶴嶺山 宝一」全取組・対戦成績データ
※本動画は上記の公式資料・報道記事に基づき、故人と関係者への最大限の敬意を持って制作しています。 ※画像・映像素材は引用の要件を満たす範囲で使用しています。
#相撲伝説と闇 #井筒三兄弟 #寺尾 #逆鉾 #194年ぶり兄弟幕内