Перейти к содержимому

【日本史】秀吉に関白の座を渡した公家たちのその後…近衛前久・近衛信尹・二条昭実、64年後に近衛家を継いでいたのは天皇の子

歴史の末路【日本史】

0:00 / 0:00

【日本史】秀吉に関白の座を渡した公家たちのその後…近衛前久・近衛信尹・二条昭実、64年後に近衛家を継いでいたのは天皇の子

5 просмотров · 16 ч назад
歴史の末路【日本史】
5 подписчиков
5 просмотров · 16 ч назад
天正13年(1585年)7月11日、京都で羽柴秀吉が関白になりました。関白は天皇を助けて政治を行う職で、本来は五摂家と呼ばれる藤原氏の5つの家から出るものでした。秀吉の関白就任は、公家が関白の座を失った出来事として語られます。 ところが、そのとき関白の座を争っていた二条昭実は30年後の1615年にふたたび関白になり、近衛信尹は薩摩の坊津へ流されたあと1605年に関白になりました。跡継ぎのいなかった近衛家には後陽成天皇の皇子・信尋が入り、1623年に関白になっています。 この動画では、秀吉の関白就任から、近衛信尋が亡くなる慶安2年(1649年)までの64年を、秀吉を猶子にした近衛前久、秀吉の養女として入内した前子、信尹、信尋、二条昭実の順に、一人ずつ追います。 今回の動画のポイント ・1585年7月11日、関白は秀吉へ ・近衛前久|秀吉の「父」になって27年目、77歳で ・近衛前子|秀吉の「娘」として入内、26年目に子が天皇に ・近衛信尹|9年目に坊津へ、20年目に関白 ・近衛信尋|64年目、天皇の子が継いだ近衛家 ・二条昭実|30年目に関白へ戻る 最後までご覧いただきありがとうございます。参考になったら高評価とチャンネル登録をお願いします。 薩摩の坊津(鹿児島県南さつま市)や京都・東山の慈照寺のあたりに、近衛信尹や近衛前久にまつわる話が地元に伝わっていれば、コメント欄で教えてください。 ▼目次 00:00 はじめに 01:06 1585年の関白|2人の公家の争いと、秀吉 03:30 近衛前久|秀吉の「父」になった元関白 05:30 近衛前子|秀吉の養女として入内 07:58 近衛信尹|関白を望み、坊津へ流された 11:30 近衛信尋|近衛家を継いだ天皇の子 15:28 二条昭実|30年後に戻った関白の座 17:50 まとめ 関白の座の64年|行き来を年表で並べ直す 諸説について ・秀吉の関白宣下:『大日本史料』の綱文により7月11日(月までの辞典もあり)。場所は確かめられず「京都で」。 ・3月の秀吉の位:正二位・従二位で分かれ、言わずに「内大臣」。 ・秀吉と近衛前久は辞典の言い方の「猶子」(養子とする解説もあり)、前子は秀吉の「養女」。 ・秀吉の太政大臣・豊臣の姓:月日が辞典で分かれ「翌年」。 ・近衛前久の関白:1554年(1582年とする辞典もあり)。 ・近衛信尹の配流:文禄3年(1594年)(文禄2年とする辞典もあり)。後陽成天皇の怒りとする辞典と、秀吉の上奏による勅勘とする辞典があり、決めていない(秀吉の朱印状を天皇を通じて伝えたとする解説もあり)。帰京は月が8月・9月で分かれ年だけ、坊津の日々は「2年あまり」。 ・寛永の三筆:後世の呼び名(明治以降の可能性を書く辞典もあり)で「のちに」。 ・信尹の書状:題の「七月廿三日」による。関白になった当日の筆というのは所蔵館の推定。 ・近衛信尋の養子入り:8月27日とする資料と元服の日(8月28日)を書く資料があり、「8月に養子に入り、28日に元服」。 ・陽明文庫の所蔵点数は資料で分かれ、言っていない。 ・二条昭実:禁中並公家諸法度に「前関白」として名を連ね(7月17日)、11日後の7月28日にふたたび関白(『大日本史料』の順)。 ・九条兼孝の1600年の再任は辞典による。秀次の死(1595年)から1600年までの関白は確かめられず、言っていない。 ・年齢は数え年、日付は和暦。 ▼参考資料(本編の数字・日付・場所は、これらで確かめたものだけを使っています) ・コトバンク(日本人名大辞典・日本大百科全書ほか)  ・東京大学史料編纂所『大日本史料』11編之17、12編之1・2・3・16・22  ・宮内庁(深草北陵・月輪陵)  ・国立公文書館「家康 二条城会見」  ・文化遺産オンライン「近衛信尹書状」ほか  ・ジャパンサーチ「近衛信尹」  ・東京大学 BiblioPlaza『近衞家名宝からたどる宮廷文化史』  ・Keio Object Hub「近衛信尋 詠草」  ・鹿児島県(島津荘の成立)  ・渡邊大門「秀吉は近衛前久の「養子」ではなかった?」(Yahoo!ニュース)  ・サライ(近衛信尹の薩摩配流)  ▼肖像画(いずれもパブリックドメイン。画像は Wikimedia Commons より) 二条昭実像(部分) 同志社大学歴史資料館蔵/豊臣秀吉像 狩野光信筆 高台寺蔵/徳川家康像 伝狩野探幽筆 大阪城天守閣蔵/後陽成天皇像 狩野孝信筆 泉涌寺蔵/後陽成天皇像 狩野孝信筆 泉涌寺蔵/島津義久像 東京藝術大学大学美術館蔵 写真:Ginger1192/CC BY-SA 3.0/後水尾天皇像(18世紀) 宮内庁書陵部蔵/後水尾天皇像(18世紀) 宮内庁書陵部蔵/徳川秀忠像(狩野派の画稿) 徳川記念財団蔵 ▼屏風・錦絵・絵図(いずれもパブリックドメイン。画像は Wikimedia Commons より) 近衛前久の書「四季の和漢の詩歌」メトロポリタン美術館蔵/「聚楽第図屏風」三井記念美術館蔵(部分)/楊斎延一「真書太閤記 本能寺焼討之図」(1893年)/近衛前久の書(和漢朗詠集の一部)メトロポリタン美術館蔵/後水尾天皇の書(『書苑』1916年より)/伝狩野光信「肥前名護屋城図屏風」佐賀県立名護屋城博物館蔵/近衛信尹の書(新撰朗詠集「蟬」)クリーブランド美術館蔵/近衛信尹の書(和歌)/伝近衛信尋書「葛下絵色紙貼付 和漢朗詠集屏風」メトロポリタン美術館蔵/近衛信尹の書(和漢朗詠集の帖)メトロポリタン美術館蔵/伝近衛信尋書「葛下絵色紙貼付 和漢朗詠集屏風」(部分)メトロポリタン美術館蔵/『禁中并公家諸法度』(写本)早稲田大学図書館蔵 ▼写真(Wikimedia Commons。画面に合わせて切り抜き・拡大・色調を整えて使用) ・現在の慈照寺(銀閣寺)の東求堂 写真:そらみみ/CC BY-SA 3.0  ・現在の京都御所 紫宸殿(1855年の再建) 写真:Saigen Jiro/CC0  ・深草北陵(京都市伏見区) 写真:L26/CC BY 3.0  ・現在の坊津(国の名勝、鹿児島県南さつま市) 写真:Sakoppi/CC BY-SA 4.0  ・月輪陵の拝所(泉涌寺、京都市東山区) 写真:Saigen Jiro/CC0  ・陽明文庫(京都市右京区宇多野) 写真:田附宏秀/CC BY 3.0 陽明文庫_-_panoramio.jpg ・現在の二条城 二の丸御殿(京都市) 写真:Wiiii/CC BY-SA 3.0  ・現在の二尊院(京都市右京区嵯峨) 写真:663highland/CC BY 2.5  ・高野山奥の院の杉と石塔 写真:Josep M. Gracia/CC BY-SA 4.0  ・現在の坊津町秋目の港(南さつま市) 写真:Sakoppi/CC BY-SA 4.0  ・現在の慈照寺(銀閣寺)の東求堂 写真:Jmhullot/CC BY 3.0  ▼地図 ・地形:国土地理院 標高タイル(dem_png)をもとに本チャンネルで作成 ・現在の県境:地球地図日本(国土地理院)をもとに作成 ・地点の位置:国土地理院 住所検索、日本語版ウィキペディアの座標 ▼音楽 ・Scott Buckley(CC BY 4.0, www.scottbuckley.com.au):Shadows and Dust, Chronicle, The Long Dark, Hymn To The Dawn, Permafrost, Never Dying, Intervention, Signal to Noise, Decoherence, Aurora ・Teller of the Tales Kevin MacLeod (incompetech.com) / Licensed under Creative Commons: By Attribution 4.0 / ▼制作について ・ナレーションは合成音声です(VOICEVOX:青山龍星)。人名・地名の読みは、読み表をもとに辞書を登録して確かめています。 ・絵の一部(29枚)は AI で作ったイメージです(OpenAI の画像生成)。該当する場面には、画面右下に「AIによるイメージ」と表示しています。人物の顔・家紋・旗印は描かせていません。 ・地図・系図・年表・図は、上の資料をもとに本チャンネルで作成しました。効果音は本チャンネルでプログラムから作成しました。 ・冒頭などのアニメの場面は本チャンネルで描いたイメージです。人物の姿は肖像画をもとにしたものではありません。家紋は各家の紋として知られる図柄を描いています。 ▼訂正 ・公開後に誤りが見つかった場合は、ここに追記します。 #日本史 #関白 #近衛家 #近衛前久 #近衛信尹 #二条昭実 #豊臣秀吉 #後陽成天皇 #後水尾天皇 #五摂家 #禁中並公家諸法度 #戦国時代 #江戸時代