Перейти к содержимому

邪馬台国はどこにあったのか|魏志倭人伝の道のりを、自分で地図にたどってみた

謎の検証所

0:00 / 0:00

邪馬台国はどこにあったのか|魏志倭人伝の道のりを、自分で地図にたどってみた

159 просмотров · 1 дн. назад
謎の検証所
51 подписчик
159 просмотров · 1 дн. назад
邪馬台国はどこにあったのか。中国の歴史書『三国志』の倭人の部分、わずか2000字ほどの記録には、方角と里数と日数まで書いた「道案内」があるのに、江戸時代から決まっていません。原文の道のりを、国土地理院の地図と標高データで1本ずつ測ってみました。 ▼目次 00:00 冒頭:邪馬台国はどこにあったのか 03:09 2000字の道案内 09:57 書いた通りには着かない 14:16 物差しと一文字 20:39 卑弥呼と径百余歩 28:43 纒向と箸墓 32:26 年代の争い 36:44 九州の反論と鏡の謎 43:26 自分でたどる(実験) 57:37 答え合わせ ▼この動画で分かったこと ・九州説も畿内説も、読んでいる元の記録は同じ『三国志』魏書の倭人の部分です。違いは、方角・数え方・日にち・距離の物差しのどれを読み替えるかにあります ・書いてある通り不弥国から南へ進むと、日にちで読んでも、普通の1里(約435m)で読んでも、九州の南の海の上に出ます。南を東に読み替えても、真東565kmは四国を横切り、纒向の約120km南を通って紀伊半島の南の海上で止まりました ・三つの海はどれも「千余里」ですが、岸から岸で測ると62〜66km・54〜65km・39kmで、1.7倍ほど違います。測った数ではなく丸めた数と見るのが素直です(三つの海の割り戻しには先行の指摘があります) ・最初は一つ目の海を内陸の古墳群から測って84kmとしていました。原文の「その北岸」に合わせて岸から測り直した結果が上の数字です ・三つの海を合わせると1里52〜74m。唐津から糸島の三雲までの「陸行五百里」も1里57mで、海と陸の物差しがそろいました。ただし伊都→奴は191m、奴→不弥は65mか258mと、そろわない区間もあります ・原文の方角は、測った区間がどれも実際より30〜66度、時計回り(南寄り)にずれていました。90度まるごと回っている区間はありません ・この記録の目盛りで残りの里を伸ばすと、荒尾・雲仙・島原湾・中津・豊前・豊後高田と、九州の中を散らばりました。一点には決まりません。伊都国から纒向までの529kmは、この目盛りでは残りの里の3〜8倍にあたります ・一方、墓の大きさ「径百余歩」を普通の物差しで読むと145m。国土地理院の標高データで箸墓古墳の後円部を測ると148〜162mで、ほとんど重なりました。記録の目盛りで読むと百歩は17〜25mです ・同じ記録の中で、道のりの里は九州を、墓の大きさは奈良の箸墓を指す。「記録は九州、遺跡は奈良」ではなく、2000字の中の数字どうしが割れている、というのが今回見えたことです ・場所は決められませんでした。箸墓の年代(240〜260年という測定と、換算表の測り直しによる保留)、吉野ヶ里の墓、纒向のまだ掘られていない98%など、手がかりは記録の外にあります ・百余歩に合う150m前後の丘は箸墓だけではなく(福岡県赤村の例など)、百余歩≒箸墓は昔から言われてきた定番の話です。九州の弥生時代の墓の寸法は確かめきれていないので、比べていません ▼出典・参考 原文 ・『三國志』巻30 魏書 東夷伝 倭人(ウィキソース本) ・『後漢書』東夷伝 倭、『日本書紀』巻第九(神功皇后紀の分注)、『梁書』 読み方と論争 ・白鳥庫吉「倭女王卑弥呼考」(1910)/内藤虎次郎「卑弥呼考」(1910) ・榎一雄『邪馬台国』(1960) ・室賀信夫(『神道学』10号、1956)/宮紀子(混一疆理歴代国都之図の写しの比較) ・古田武彦『「邪馬台国」はなかった』/安本美典『「邪馬壹国」はなかった』(1980) ・谷本茂(周髀算経による1里の計算) ・渡邉義浩「『三国志』東夷伝倭人の条に現れた世界観と国際関係」(『三国志研究』6号、2011) ・笠井新也(『考古学雑誌』、1924) ・和辻哲郎(東遷説)/直木孝次郎 年代・気候・人口・天文 ・中塚武(国立歴史民俗博物館研究報告 203・231・232集) ・春成秀爾ほか「古墳出現期の炭素14年代測定」(国立歴史民俗博物館研究報告 163集、2011)/坂本稔(名古屋大学ISEE共同利用の報告:日本の樹木の年輪による測り直し) ・名古屋大学(纒向遺跡の桃の種の放射性炭素年代) ・小山修三・杉藤重信(1984、国立民族学博物館研究報告) ・NASA Five Millennium Catalog of Solar Eclipses/相馬充・上田暁俊・谷川清隆・安本美典「247年3月24日の日食について」(国立天文台報 14巻、2012) 考古学 ・桜井市教育委員会(纒向遺跡の調査)、宮内庁(大市墓)、奈良県(箸墓古墳の解説) ・佐賀県(吉野ヶ里遺跡「謎のエリア」の調査、2023〜2026年) ・弥生時代の硯の見直しの最終報告(2025年3月) ・川越哲志『弥生時代鉄器総覧』(邪馬台国の会による県別集計)、野島永 ・馬淵久夫(鉛同位体比)、黒塚古墳・神原神社古墳・蟹沢古墳の出土鏡 先に指摘していた例 ・三つの海の「千余里」を実際の距離で割り戻す見方は、この動画より前に指摘している人がいます ▼地図・地形・写真 ・地図:国土地理院 地理院タイル(淡色地図)に追記して掲載 ・空中写真:国土地理院 地理院タイル(全国最新写真(シームレス))に追記して掲載 ・標高:地理院タイル(標高タイル(基盤地図情報数値標高モデル))を加工して作成 ・東アジアの図:Natural Earth(パブリックドメイン)をもとに作成 写真・画像(Wikimedia Commons) ・新井白石の肖像:作者不明(Public domain) ・『三国志』倭人伝の版本(gishi_pageは同じ画像の1頁を拡大):作者不明(Public domain) ・『後漢書』倭伝の版本:国立国会図書館デジタルコレクション(CC0) ・箸墓古墳:Saigen Jiro(CC0) ・平原遺跡出土の鏡(複製):Saigen Jiro(Public domain) ・混一疆理歴代国都之図(本光寺本):Kim Sahyung, Lee Moo, Lee Hui(Public domain) ・カニシカ1世の金貨:Classical Numismatic Group, Inc.(CC BY-SA 2.5) https://commons.wikimedia.org/wiki/Fi... ・纒向遺跡:Saigen Jiro(CC0) ・本居宣長の自画像:Motoori Norinaga(Public domain) ・内藤湖南:作者不明(Public domain) ・年輪:4028mdk09(CC BY-SA 3.0) https://commons.wikimedia.org/wiki/Fi... ・『日本書紀』古写本:Urabe Kanekata(Public domain) ・三角縁神獣鏡(神原神社古墳):Saigen Jiro(Public domain) ・白鳥庫吉:作者不明(Public domain) ・須玖岡本遺跡:STA3816(CC BY-SA 4.0) https://commons.wikimedia.org/wiki/Fi... ・宇佐神宮:そらみみ (Soramimi)(CC BY-SA 4.0) https://commons.wikimedia.org/wiki/Fi... ・吉野ヶ里遺跡:小池 隆(CC BY 3.0) https://commons.wikimedia.org/wiki/Fi... ▼実験について ・場所の座標:ウィキペディアの座標と国土地理院の地名検索。2点の距離は楕円体の上で計算しました。海の区間は岸から岸、海の途中の折れ点は海図なしで置いた概略です ・箸墓の後円部:地理院タイルの標高(z15、約4m間隔)で、後円部の頂から36方向の断面を取り、周りより0.5m・2m高くなる所を裾として、前方部と池の方向を除いた点に円を当てはめました ・船の速さ(1日20〜40km)は記録に無いため仮に置いた値です