【佐良直美・キャッシー】「1人いけにえに出せば、ほかは助かる」――紅白の顔が、テレビから26年消えた理由
時代を生きた声
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【佐良直美・キャッシー】「1人いけにえに出せば、ほかは助かる」――紅白の顔が、テレビから26年消えた理由
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佐良直美さん、「世界は二人のために」「いいじゃないの幸せならば」の歌手。紅白歌合戦13年連続出場、紅組司会5回は歴代最多。1980年5月19日、昼のテレビで名前を呼ばれ、その年、紅白から名前が消えました。2010年、27年ぶりの新曲。そして今、80歳、栃木の山で野犬に餌を運んでいます。
もともと歌手になるつもりはありませんでした。なりたかったのは、テレビの裏方でした。1969年、24歳でレコード大賞。受賞の夜、涙をこらえる顔がテレビに映りました。1980年5月19日、「アフタヌーンショー」に出たキャッシーさんが、泣きながら佐良さんの名前を出しました。「夫と妻の関係だった」と。佐良さん側の返事は、事務所を通じた一言だけでした。「まったくのでっち上げ」。その年の12月、紅白の出場歌手名簿に、13年あった名前がありませんでした。けれど、その後の3年間、佐良さんはドラマに出続けています。本当に消えたのは、その3年のあとでした。1987年、声帯ポリープの手術。祖父が創業した会社を手伝い始め、定期券を買って、月曜から金曜まで通いました。18年間です。1993年、栃木県那須塩原へ。犬のしつけ教室を開き、捨てられた犬猫を引き取りました。2010年、知人に押されて、27年ぶりに新曲を出すことになります。名前は、飼い犬の名前を使うつもりでした。石井ふく子さんが言いました。佐良直美の名前で出しなさい、と。同じ年、佐良さんは30年前のことを初めて自分の言葉で語りました。「いけにえ」「1人いけにえに出せばほかは助かる」。そして2023年、78歳。毎朝8時と午後2時、車で山へ入り、絶対に近づいてこない野犬に餌を置いて帰ります。「私の人生最後の大仕事です」。
【本動画の内容】
・1945年1月10日、東京 ― 川田奈保子。両親の離婚、祖父母の養女に。三つの名前
・小学生で乗馬 ―「自分より大きな動物が力を誇示すれば、小さく弱いものはすくむ」
・「私も、自分より小さい動物に同じことをしていないだろうか」
・動物がいないと写真も普通に撮れなかった子ども
・16歳、ジャズ歌手・水島早苗さんに師事 ― それでも歌手になる気はなかった
・志望はテレビの裏方 ― けれどフジテレビは女性ディレクターを採らなかった
・1967年『世界は二人のために』120万枚 ― デビューの年に紅白へ
・1969年『いいじゃないの幸せならば』第11回日本レコード大賞、24歳
・受賞の夜 ―「いつもはボーイッシュでクールが売り物の彼女の涙をこらえる表情」
・紅白13年連続、紅組司会5回 ― 黒柳徹子さんと並ぶ歴代最多
・1971年、26歳で独立。自分の名前の会社を設立
・1979年秋、世田谷の家に女性が一人、住み始める
・1980年5月19日、昼の「アフタヌーンショー」― キャッシーさんの涙
・「夫と妻の関係だった」「外国人を嫌う両親にいじめられた」
・佐良さん側の返事 ―「まったくのでっち上げ」。手紙も偽物だ、と
・友人が語った、もう一つの話 ―「3千万円払わなければばらす」
・1980年12月、紅白出場者名簿 ― 13年あった名前が、なかった
・嵐のあと ― キャッシーさんが石井ふく子さん宅にいた頃の話
・「佐良さんは怒らなかった」「訪ねてきてくれた」
・「段ボールに入って行く」― 記者に見つからないように
・ハワイへ渡ったあとも、毎日の電話 ― 終わりを告げたのは、キャッシーさんだった
・消えたと言われた3年間 ― 1981年『であい』、1982年『おはよう24時間』、1983年『であい・めぐりあい』
・1983年9月21日『YASUKOの場合』― 昭和最後のレコード
・1978年、師・水島早苗さんの死 ―「ジャズを歌うときの羅針盤」
・1986年『パステルジャズの世界』― カセットだけの、先生への一枚
・1987年、声帯ポリープ ―「9時5時で働いて、夜歌えるわけない」
・定期券を買って、月曜から金曜まで。18年間
・1992年、猫が腹の上から動かなかった日 ― 卵巣がんの早期発見
・「私は彼らに生かされている」
・1993年、那須塩原へ ― アニマルファンスィアーズクラブ。1年で30匹の捨て犬
・2003年、NHKラジオ ―「もういいです」
・2010年、27年ぶりの新曲『いのちの木陰』― 作詞・山川啓介さん
・「犬の名前で出すつもりだった」―「佐良直美の名前で出しなさい」(石井ふく子さん)
・同じ年、30年前を初めて語る ―「弱い者は強い者に食われる」「いけにえ」
・梨元勝さんの訃報に ―「気の毒」「会いたかった」「持ち続けて何になるの」
・2011年3月11日、那須の家が半壊 ― 4月15日『徹子の部屋』、収録は震災前
・2019年2月1日、32年ぶりのバラエティ出演
・2023年7月『徹子の部屋』― 安奈淳さんと。55年の友人
・毎朝8時と午後2時、車で山へ ―「絶対に近づいてこない」
・「捕まえて、避妊手術をして、狂犬病の予防注射をする」「それだけでいい」
・「私の人生最後の大仕事ですので」
・2022年11月、YouTubeチャンネル開設 ―「佐良直美のいいじゃないの幸せならば」
【主な参考資料】
・東京スポーツ 2010年11月7日・13日 ― 佐良直美 インタビュー(30年前について本人が初めて語る)
・デイリー新潮 2016年2月28日/2020年2月24日(『週刊新潮』掲載分)
・週刊新潮 2016年2月25日号 ― 友人証言
・MANTANWEB 2023年7月7日・10日 ―『徹子の部屋』2023年7月10日 放送分
・日本作曲家協会 公式「第11回日本レコード大賞」
・ビクターエンタテインメント 公式ディスコグラフィー『いのちの木陰』
・時事通信社 ― 那須塩原 保護活動 報道
・日刊ゲンダイDIGITAL ― 芸能記者・二田一比古 コメント
・ORICON 公式プロフィール ―『爆報!THEフライデー』2019年2月1日(TBS)出演記録
・note「柏原寛司」2022年8月20日 ― AFC 現地取材
・CGC 公式サイト「代表挨拶」― 佐良直美 本人執筆
・巴工業株式会社 有価証券報告書
・ウィキペディア「佐良直美」「いのちの木陰」「梨元勝」「第25回NHK紅白歌合戦」
※本動画は、ご本人および関係者の公開発言、報道記事、公式資料をもとに構成しています。1980年の件については、双方の言い分をそのまま並べ、いずれも断定していません。佐良さんは一貫して事実関係を否定しています。
#佐良直美 #いいじゃないの幸せならば #世界は二人のために #時代を生きた声 #昭和の歌手