「原爆投下はやむを得ない」昭和天皇がそう答えた日、本当は何を思っていたのか|天皇が言おうとして、言わせてもらえなかった言葉
AIで蘇る戦争の記憶
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「原爆投下はやむを得ない」昭和天皇がそう答えた日、本当は何を思っていたのか|天皇が言おうとして、言わせてもらえなかった言葉
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AIで蘇る戦争の記憶
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1975年10月31日、皇居・宮殿の石橋の間。日本の歴史で初めて、天皇がテレビカメラの前で記者の質問に答えた。集まった記者は50人、質問は事前に調整され、台本どおりに進むはずだった。その台本を破った男が二人いる。一人はイギリス・タイムズ紙の記者。訪米の晩餐会で天皇が述べた「私が深く悲しみとする不幸な戦争」を突き、戦争責任を正面から問うた。返ってきたのは「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりません」。もう一人は記者席の最後列、広島の中国放送・秋信利彦記者だった。原爆投下をどうお考えですか——会見場がざわつき、日本中がテレビの前で答えを待った。「気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っています」。21万人が死んだ原爆を、この国で最も重い立場の人がそう表現したのである。まるで他人事だ、と当時から批判があった。だが、この二つの答えの意味は、昭和の戦争の全部を見てからでないとわからない。「天皇の戦争責任」は一つの問いではない。開戦の責任、戦争を続けた責任、個々の作戦への責任、そして法では裁けない道義の責任——四つの別々の問いが混ざったまま、この論争は80年間かみ合わずにきた。この動画では、大日本帝国憲法下の統帥権と輔弼という仕組みを押さえたうえで、四つを一つずつ分けてたどる。開戦を望まず和歌で抵抗しながら最後には裁可した御前会議。特攻を知り「しかしよくやった」と述べた言葉が全軍に伝えられた経緯。降伏がなぜ半年遅れたのか、その時間が何を招いたのか。そして、なぜ東京裁判で裁かれなかったのか。さらに、独白録・拝謁記・侍従の日記が残した内面へ入っていく。退位を考えていたこと。1952年の独立回復の「おことば」に、どうしても「反省」の字を入れねばと二度繰り返して譲らなかったこと。その一言が、総理大臣・吉田茂の判断で草稿から消えたこと。1987年、晩年に漏らした「戦争責任のことをいわれるのがつらい」。現人神とよばれた人は、神ではなかった。実際の写真をAIでフルカラー復元してたどる、天皇の戦争責任。
▼ 映像について
この動画で使用している現代の写真は、内容を説明するために著作権法第32条に基づき引用したものです。出所は各写真に明記し、改変は行っていません。1956年以前に撮影された写真(旧著作権法により保護期間が満了)および米国政府撮影などのパブリックドメイン写真を使用し、AIでフルカラー復元しています。本動画は特定の結論を主張するものではなく、一次資料の記録を紹介するものです。事実については複数資料を参照していますが、間違い・補足があればコメントで教えてください。
▼ ナレーションについて
音声読み上げにはAI音声生成 ElevenLabs を使用しています。
日本語は同じ漢字でも複数の読み方があり、特にこうした歴史用語は学習データが少ないため、AIの読み上げが破綻したり不自然になる箇所がありますが、ご了承ください。
この技術も日々進化しているので、今後さらに自然になっていくはずです。
https://try.elevenlabs.io/faobkrcn4shu
▼ タイムスタンプ
0:00 やむを得ない
4:25 あの質問をした男
8:12 天皇制に反対する人々
10:08 前提——天皇は何を決められたのか
11:59 各論①——開戦の責任
16:26 各論②——特攻を、天皇は知っていたのか
18:43 「しかしよくやった」
21:25 なぜ、降伏しなかったのか
24:32 止められたのか
27:02 各論③——原爆と「時間」の問い
28:58 「もう一度」の代償
32:19 原爆の仮判定
34:28 各論④——なぜ裁かれなかったのか
37:19 東京裁判の舞台裏
41:40 内面①——独白録という弁明
44:09 内面②——退位を考えていた
46:13 内面③——削られた「反省」
48:41 内面④——晩年の「つらい」
50:33 国民は、どう問うたのか
54:26 天皇は、自分を神だと思っていたのか
59:00 最終章——「やむを得ない」とは何だったのか
1:04:58 まとめ
▼ 参考文献
『昭和天皇拝謁記』(NHK取材班・岩波書店) / 『昭和天皇独白録』 / Gary J. Bass『Judgment at Tokyo』 / 吉田裕『日本軍兵士』 / 山田朗『大元帥 昭和天皇』 / 『本庄日記』 / 高橋紘『陛下、お尋ね申し上げます』 / Wikipedia ほか