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佐野城 "築城から廃城まで12年間の佐野氏の居城" つわものどもが夢の跡・城跡めぐり55

さんにむ Sannimu (大浦三右衛門 Ooura San-emon)

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佐野城 "築城から廃城まで12年間の佐野氏の居城" つわものどもが夢の跡・城跡めぐり55

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さんにむ Sannimu (大浦三右衛門 Ooura San-emon)
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佐野城跡は、市指定史跡の平山城です。南側から三の丸・二の丸・本丸・北出丸が直線的に配置された連郭式で、別名を春日岡城、春日城、姥ケ城とも言います。現在は、市指定の名勝「城山公園」として市民の憩いの場となっています。 この地は古くから旭丘といい、藤原秀郷の曽祖父の下野守藤成が延暦9年(790)に城を築いたのが始まりとされます。天慶3年(940)に秀郷が平将門討伐を祈願して春日岡山惣宗寺を建立したと伝えられます。諸説ありますが、慶長7年(1602)、佐野信吉によって、唐沢山城から佐野城への築城を開始したとされます。それに伴い、惣宗寺は現在の場所に移りました。 史料「下野一国」によると、城の規模は東西約360メートル、南北約580メートルと記されています。また広大な外堀を廻らせていた様子も記されており、このことは現況ではほとんど確認できませんが、字「外堀」という地名も残っています。 かつては未完成のまま廃城となったと考えられてきた佐野城跡ですが、近年の発掘調査で、城内から礎石建物、石垣虎口、石畳などの遺構が確認され、瓦も多量に出土していることから、完成された城郭であったと考えられています。 また佐野城の築城とともに、碁盤の目状の整然とした城下町づくりも始められており、それが400年後の今日の町並みに受け継がれているのです。 佐野城は「関ケ原の戦い」後に佐野信吉が唐沢山城を廃して山麓に新たに築いた城です。唐沢山城の廃止理由としては、信吉が豊臣家縁故であったため徳川家に配慮したため、江戸近郊の山城が禁令されていたため、あるいは江戸に火災が発生した際にいち早くかけつけた信吉に対し徳川家康が「唐沢山城から江戸城を見下ろすのは何事か」と一喝したためなど、いくつかの説があります。現在は佐野城山公園となっており、築城によって移転を命じられた惣宗寺は今日でも「佐野厄除け大師」の愛称で広く知られており、その山門は佐野城の城門を移築したものと伝わっています。 曲輪構成:連郭式 縄張形態:平山城 標高:56 m 築城主:佐野信吉 築城開始: 1602年(慶長7年) 廃城年:1614年(慶長19年) 主な城主:佐野氏 遺構:空掘 指定文化財:市史跡