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【宮沢賢治】あの人が二十四歳で家を捨てた理由

お坊さんのみづき

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【宮沢賢治】あの人が二十四歳で家を捨てた理由

67 просмотров · 11 дн. назад
お坊さんのみづき
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#仏教 #宮沢賢治 #仏教の誕生 『雨ニモマケズ』は法華経の信仰から生まれた詩です。書いた宮沢賢治は、日蓮の教えを説く会の会員でした。 同じ一九二〇年、その会に入ったもうひとりが、十一年後に満州事変を起こします。 第二部「仏教の誕生」、第20話。 廃仏毀釈で全国の寺が壊されたあと、日蓮の教えを広げたのは僧ではなく在家の人たちでした。始めたのは田中智学(1861-1939)。十歳で日蓮宗の寺に入り、十九で僧の身分を離れた人です。1880年に横浜で蓮華会をつくり、1884年に立正安国会と改め、1914年に国柱会としました。日蓮の「立正安国」を国のあり方の指針にしようとするこの思想運動を日蓮主義といいます。出版と講演で広がり、評論家の高山樗牛は1902年に「日蓮上人とは如何なる人ぞ」を書いて、日蓮を宗祖ではなく一個の人間として描き直しました。1913年、田中智学は「八紘一宇」という言葉をつくります。もとは日本書紀の句で、本人の説明は道義による世界統一でしたが、のちに戦争の時代の標語になりました。そして1920年、国柱会に二人の青年が入ります。宮沢賢治と石原莞爾です。賢治は翌年に家を出て東京へ向かい、「法華文学をやりなさい」と言われて童話を書き始めました。石原莞爾は日蓮の予言を軍事の言葉で読み、1931年の満州事変を計画した一人になります。同じ思想からは、社会運動へ進んで治安維持法で逮捕された妹尾義郎も出ました。同じ経典を読んだ人たちが、まったく違う場所へ歩いていった回です。 ▼目次(VOICEVOX実尺で確定済み) 0:00 詩人と、軍人 0:42 廃仏毀釈のあと 1:19 僧をやめた男 2:02 一八八〇年 蓮華会 2:42 日蓮主義の三本の柱 3:23 八紘一宇という言葉 4:07 評論家 高山樗牛 4:44 一九一四年 国柱会 5:21 二十四歳の家出 6:06 法華文学 6:46 雨ニモマケズの手帳 7:31 もうひとりの会員 8:24 右へ、そして左へ 9:03 戦争と仏教各派 9:44 まとめ 同じ経典から 10:15 次回予告 大正 ▼シリーズ 第一部「人類はなぜ祈るようになったのか」(全7章)── 700万年の人類史から仏教誕生前夜まで。 第二部「仏教の誕生」── 第8章「ある王子の物語」/第9章「悟り」/第10章「ブッダ亡き後」/第11章「中国伝来」/第12章「日本伝来」/第13章「奈良の大仏」/第14章「最澄と空海」/第15章「末法」/第16章「法然と親鸞」/第17章「栄西と道元」/第18章「日蓮」/第19章「予言の的中」/第20章「身延」/第21章「分裂」/第22章「京都」/第23章「法華一揆」/第24章「本能寺」/第25章「不受不施」/第26章「廃仏毀釈」/第27章「日蓮主義」(本編)。 シリーズ再生リストはこちら → (※再生リストURLを貼る) ▼次回予告 第28章「大正」。1923年、関東大震災。東京が焼けたあと、人は寺ではない場所に集まりはじめます。在家の会が次々に生まれました。霊友会。寺の檀家ではなく、自分で選んで入る会です。そして北海道から出てきた一人の小学校の校長が、一冊の本を書きます。牧口常三郎。その本の名前が『創価教育学体系』でした。 ▼出典・補足 ・本シリーズは書籍『僧侶の道』を原作とし、年代・呼称は通説に基づいて補っています。本章は原作 第26章「明治時代 ―― 近代化と廃仏毀釈」の後半(1880年代〜1910年代の日蓮主義の興隆、日清・日露戦争と仏教)に対応します。原作 第26章の前半(神仏分離令と廃仏毀釈)は前章で扱いました。 ・**「石原莞爾」の読みについて。**動画では「いしわら かんじ」と読んでいます。本人の名乗りに基づく読みで、辞典類もこの読みを採っています。一般には「いしはら」と読まれることも多く、どちらも通用します。 ・**日蓮主義は、日蓮宗という教団の活動そのものではありません。**田中智学は僧の身分を離れた在家の人で、国柱会は日蓮宗の伝統教団(身延の日蓮宗、日蓮正宗ほか)とは別の流れとして展開しました。動画でもこの区別を本編中で明示しています(該当箇所は「日蓮主義の三本の柱」の章)。 ・**国柱会が満州事変を命じた事実はありません。**田中智学が軍を動かした事実もありません。動画では、石原莞爾が国柱会の会員であったこと、その思想に影響がなかったとは言えないことの両方を述べ、因果関係を断定していません。 ・**「八紘一宇」について。**田中智学が1913年に提唱した語で、素材は『日本書紀』の句です。本人の説明は道義による世界統一でしたが、のちに戦争の時代の国家的な標語として用いられました。田中智学の没後のことです。動画は「作った人の意図」と「使われ方」を両方置き、どちらも消していません。 ・**日蓮主義から出たのは国家主義だけではありません。**妹尾義郎(1889-1961)は1919年に日蓮主義の青年団を組織したのち、小作争議・労働争議に関わるなかで社会変革を説くようになり、1931年に新興仏教青年同盟を結成、1936年12月に治安維持法違反の疑いで逮捕されました。翌年には幹部が一斉に検挙され、組織は解散を命じられています。 ・**従軍布教は日蓮宗だけの話ではありません。**日清・日露戦争期には仏教各派が従軍布教師を派遣しました。動画は特定の宗派を加害者として名指ししていません。海外布教と植民地の関係についても、事実を述べたうえで「いまも答えは出ていません」として結論を出していません。 ・**宮沢賢治の作品からの引用は行っていません。**表題と、作品が書かれた状況の説明に留めています。手帳に「雨ニモマケズ」が書かれた時期・その前後の頁の記載については、通説に基づいて幅を持たせた表現にしています。 ・田中智学が僧の身分を離れた理由には諸説あります。動画では「はっきりとは分かっていません」「伝えられます」の形で述べています。 ・国柱会の当時の本部所在地(鶯谷)と、現在の所在地は異なります。動画の「当時の本部は」はその区別です。 ・映像で使用した資料画像・図解の背景は Wikimedia Commons から取得しています。CC BY/CC BY-SA の素材は下記のとおりクレジットします(表記は「ファイル名(ライセンス / 作者)」)。パブリックドメインの素材は割愛しています。 ・Bizen Kokubunji Dilapidated Temple Ruins 01.JPG(CC BY-SA 3.0 / Reggaeman) ・Buddhist sutra book unfolded front side in rural Japan.jpg(CC BY-SA 4.0 / Gpwitteveen) ・Byōdō-in (UJI, Kyoto) hdsr Temple S5 1.jpg(CC BY 4.0 / Hyppolyte de Saint-Rambert) ・Detailed information by Shibata Tarokichi submitted in1865.jpg(CC BY-SA 4.0 / 柴田バネッサ) ・Iidaka2.jpg(CC BY-SA 4.0 / Ibaraki101c) ・Iwakubi shoryu tanada.jpg(CC BY-SA 2.0 / Sota Kaneko) ・Japanese funeral customs - the procession leaves the house Wellcome V0046657.jpg(CC BY 4.0 / 作者不明) ・Japanese funeral customs- shaving the head Wellcome V0046654.jpg(CC BY 4.0 / 作者不明) ・Mount Yakushi seen from Mount Hayachine.jpg(CC BY-SA 3.0 / Yasu (talk)) ・Statue of Buddhist Risshou surrounded by banners preaching wisdoms. Fukuoka, Japan, East Asia.jpg(CC BY-SA 3.0 / Mstyslav Chernov/Unframe/www.unframe.com) ・田中智学.jpg(CC BY-SA 3.0 / Sycomore) ・身延山久遠寺 - panoramio (11).jpg(CC BY 3.0 / Yoshio Kohara) ・音声合成:VOICEVOX:玄野武宏 #日蓮主義 #国柱会 #田中智学 #法華経 #日本史 #歴史解説