Перейти к содержимому

目黒製作所はなぜ消えた?|白バイの名門メグロと、5万5000円のスーパーカブと、127万6000円で戻った名前

あの会社はなぜ消えた?

0:00 / 0:00

目黒製作所はなぜ消えた?|白バイの名門メグロと、5万5000円のスーパーカブと、127万6000円で戻った名前

17 415 просмотров · 17 часов назад
あの会社はなぜ消えた?
6,51 тыс. подписчиков
17 415 просмотров · 17 часов назад
1964年、東京オリンピックの聖火の前を走った白バイ。その多くは、戦前から大きなオートバイを作ってきた名門「メグロ」でした。 けれどその同じ年、メグロを作った会社(当時の社名はカワサキメグロ製作所)は、川崎航空機工業に吸収されて消えます。そして会社が消えて57年後の2021年、名前だけが127万6000円のバイクに戻ってきました。 目黒製作所は、なぜ消えたのか。 ▼ チャプター 0:00 イントロ 0:28 1964年、聖火の前を走ったバイク 2:25 和製ハーレーと長屋の工場 4:21 メグロ号と10台の白バイ 6:22 焼け跡からのジュニア 8:17 名門の頂点 10:37 5万5000円のカブ 12:34 提携と争議 14:43 カワサキメグロ製作所 16:49 メグロの血、カワサキへ 19:03 戻ってきた名前 モーサイの記事によれば、1922年、ハーレーを手本にした国産車ヂャイアント号は、1台4000円かかって量産をあきらめました。その鉄工所にいた技術者が1924年8月に立ち上げたのが目黒製作所です。4軒長屋の1軒で、補修用の変速機作りから始まりました。 1937年に初の完成車メグロ号(500cc)を出し、1939年には白バイ10台を警視庁に納めます。戦後は250ccのジュニアで台数を伸ばし、650ccのセニアや500ccのスタミナは各地の警察の白バイになりました。1957年の浅間火山レースでは500ccクラスで1・2・4・5位。1959年の年産1万5089台は過去最高でした。 しかし1958年、5万5000円のスーパーカブが登場し、時代は小さく安いバイクへ。小型車で出遅れたメグロは1960年に川崎航空機工業と提携しますが、賃金の差をめぐる労働争議が起き、本社の土地を売って横浜へ移ります。 1962年10月にカワサキメグロ製作所と社名を変え、1964年2月に横浜工場は操業停止。最後の仕事は東京オリンピックのための白バイ500台でした。1964年9月、会社は川崎航空機工業に吸収されます。この最後を、資料は「倒産」「事実上の経営破綻」「統合」と、それぞれ違う言葉で書いています。 メグロの車体づくりは、カワサキ500メグロK2から650-W1へ受け継がれ、その流れは W800 まで続きます。2021年、カワサキは「メグロ」の名前を MEGURO K3 で復活させました。 ※ 本動画の「消えた」は、法人としての目黒製作所のことです。ブランド「メグロ」はカワサキのオートバイとして現在も販売されています。 「あの会社はなぜ消えた?」では、かつて日本にあった企業のなりたちと消えかたを、毎日18:00に配信しています。 チャンネル登録をお願いいたします。 #メグロ #目黒製作所 #カワサキ #白バイ #旧車 #メグロK3 #昭和レトロ #あの会社はなぜ消えた