【衝撃!】江戸の鰻飯はなぜ丼に飯を敷いた?百文で売られた蒲焼の一杯とは…【江戸めし絵巻】
江戸めし絵巻
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【衝撃!】江戸の鰻飯はなぜ丼に飯を敷いた?百文で売られた蒲焼の一杯とは…【江戸めし絵巻】
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江戸めし絵巻
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鰻の丼といえば、いまは飯の上に蒲焼が一枚です。
けれども江戸の記録では、形が違います。
丼の飯の上に焼いた鰻を五つか六つ並べ、その上にまた飯を敷き、表に小さい鰻を六つか七つ。
大小十切れほどの鰻が、二段に重なっていました。
値は百文から二百文ほど。売り歩きの串の鰻が一串十六文だった時代です。
飯を敷いたのは、芝居小屋へ届ける蒲焼を冷まさないためだった、という話も伝えられています。
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▼参考にした資料
・喜田川守貞『守貞謾稿』(国立国会図書館蔵)鰻飯・鰻蒲焼売り・たれの記述
・nippon.com「江戸が誇ったブランド『江戸前鰻』は関西の鰻とどこが違うのか?:『守貞漫稿』(その4)」(2020年)
・国立国会図書館 ジャパンサーチ ギャラリー「江戸の食風景」
・『近世職人尽絵詞』(1805年)/『浄瑠理町繁花の図』(国立国会図書館蔵)
・宮川政運『俗事百工起源』(1865年)※鰻飯の始まりの伝承として
・歌舞伎座「江戸食文化紀行 no.256 鰻の蒲焼」(松下幸子)
※江戸後期の資料を参考にした創作です。人物・会話は架空で、江戸のすべての人の暮らしを示すものではありません。
※映像表現の一部にAI技術を使用/音声 VOICEVOX(ちび式じい/九州そら/玄野武宏/もち子さん/No.7)