なぜ日本は「たった一つの丘」に6万人を費やしたのか【旅順攻囲戦・二〇三高地】
歴史の翼
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なぜ日本は「たった一つの丘」に6万人を費やしたのか【旅順攻囲戦・二〇三高地】
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1904年、日露戦争。
日本が勝つためには、旅順港に立てこもるロシア太平洋艦隊を、バルチック艦隊が着く前に沈めなければなりませんでした。
その港を守っていたのは、鉄とコンクリートで固められた近代要塞。
乃木希典の第3軍は、ここで155日間にわたる攻防を戦い、およそ6万人の死傷者を出します。
日英同盟から開戦までの流れ、閉塞作戦、第1回・第2回総攻撃、海を渡った二十八糎榴弾砲、白襷隊、二〇三高地の激戦、そして水師営の会見まで。
旅順攻囲戦の全体を、3Dの地形図と当時の写真で解説します。
▼ 目次
0:00 序章 二〇三高地への155日
0:54 第一幕 三つの棺 ― なぜ旅順でなければならなかったのか
4:06 第二幕 鉄とコンクリートの壁 ― 第1回・第2回総攻撃
11:21 第三幕 海を渡った巨砲 ― 28センチ砲と白襷隊
18:02 第四幕 二〇三高地 ― 爾霊山
25:36 第五幕 開城 ― 水師営、そして日本海へ
▼ 次回
旅順の陥落から2か月後。両軍あわせて50万を超える兵がぶつかった、日露戦争で最大の陸の戦い「奉天会戦」を解説します。
▼ ご注意
・兵力・損害の数字は、資料によって違いがあります。動画では通説の値や幅のある値を示しました。
・乃木希典の言葉などの逸話には、出典がはっきりしないものもあり、「〜と伝えられる」として紹介しています。
・地図の堡塁・陣地の位置は、標高データと当時の地図をもとにした、およその位置です。
▼ 写真・地図の出典
・写真:Wikimedia Commons、アメリカ議会図書館(Library of Congress)所蔵のパブリックドメインの写真。個々の出典は、写真の表示中に画面内に記載しています。
・地形:AWS Terrain Tiles(Mapzen / Terrarium 形式の標高データ)
・地図:Natural Earth
▼ 参考文献
・参謀本部 編『明治三十七八年日露戦史』東京偕行社、1912〜1915年
・横手慎二『日露戦争史 ― 20世紀最初の大国間戦争』中公新書、2005年
・山室信一『日露戦争の世紀 ― 連鎖視点から見る日本と世界』岩波新書、2005年
・和田春樹『日露戦争 ― 起源と開戦』上・下、岩波書店、2009〜2010年
・大江志乃夫『世界史としての日露戦争』立風書房、2001年
・長南政義 編『日露戦争第三軍関係史料集 ― 大庭二郎日記・井上幾太郎日記でみる旅順・奉天戦』国書刊行会、2014年
・別宮暖朗『旅順攻防戦の真実 ― 乃木司令部は無能ではなかった』PHP文庫、2006年
・司馬遼太郎『坂の上の雲』文藝春秋(小説)
・Richard Connaughton, "Rising Sun and Tumbling Bear: Russia's War with Japan", Cassell, 2003
・Rotem Kowner, "Historical Dictionary of the Russo-Japanese War", Scarecrow Press, 2006
・N. A. Tretyakov, "My Experiences at Nan Shan and Port Arthur with the Fifth East Siberian Rifles", Hugh Rees, 1911
・Ellis Ashmead-Bartlett, "Port Arthur: The Siege and Capitulation", William Blackwood and Sons, 1906
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