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賤ヶ岳の戦い 柴田勝家の本陣から戦場は見えなかった|秀吉に敗れた理由【敗者から見る日本史】

敗者から見る日本史

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賤ヶ岳の戦い 柴田勝家の本陣から戦場は見えなかった|秀吉に敗れた理由【敗者から見る日本史】

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賤ヶ岳の戦いで、柴田勝家はなぜ秀吉に敗れたのか。織田家の筆頭家老で「鬼柴田」と恐れられた勝家は、本能寺の変からわずか1年足らずで、お市の方とともに北ノ庄城で最期を迎えます。本能寺の変での出遅れ、清洲会議、雪に閉ざされた冬、そして賤ヶ岳。標高データで勝家の本陣(内中尾山・玄蕃尾城)からの眺めを立体で再現し、負けた側の勝家の立場から見直します。 ■ チャプター 0:00 導入 0:37 鬼柴田 2:07 出遅れた6月 2:56 清洲会議 4:06 雪に閉ざされた冬 5:04 賤ヶ岳の戦い 5:39 勝家の本陣からの眺め 8:06 北ノ庄の最期 8:59 まとめ ■ 用語・人物メモ ・柴田勝家:織田家の筆頭家老。越前を任され、北陸方面の総大将を務めた。1583年、北ノ庄城で自害。 ・お市の方:信長の妹。浅井長政の妻だったが、清洲会議のあと勝家に嫁いだ。 ・越前国掟:1575年、信長が越前を任せた勝家に与えた九か条の掟。 ・魚津城:越中の上杉方の城。本能寺の変の翌日、6月3日に勝家の軍が落とした。 ・清洲会議:1582年6月27日、勝家・秀吉・丹羽長秀・池田恒興が織田家の跡継ぎと領地を話し合った会議。 ・三法師:信長の嫡孫(信忠の子)。のちの織田秀信。 ・内中尾山(玄蕃尾城):賤ヶ岳の戦いで勝家が本陣を置いた山城。滋賀県長浜市と福井県敦賀市の境にある。 ・佐久間盛政:勝家の甥。大岩山の砦を奇襲した。 ・中川清秀:秀吉方の武将。大岩山の砦で討ち死にした。 ・美濃大返し:大垣から木之本まで約52kmを駆け戻った秀吉の強行軍。 ・賤ヶ岳の七本槍:賤ヶ岳の戦いで活躍した秀吉の若い家臣たち。 ・前田利家:勝家の与力。戦いの最中に陣を離れ、のちに秀吉に従った。 ※ 日付、兵力、行軍の時間、勝家や盛政の言動には諸説あります。立体図は標高データから作った概略で、高さは1.3〜1.5倍に強調し、部隊は見やすく大きくしています。部隊の位置はおおよそです。本陣からの見え方は、木や建物を入れずに地形だけで計算したものです。 ■ クレジット 音声:VOICEVOX:冥鳴ひまり 画像:AIで生成したイメージです(実在の人物の肖像ではありません) 3D素材:Poly Haven (CC0) 地図:Natural Earth、標高データ:Mapzen Terrain Tiles(AWS Open Data) 前回:明智光秀    • 本能寺の変はなぜ起きた?明智光秀が信長を討ち、11日で敗れた理由【敗者から見る日本史】   次回:北条氏政 #柴田勝家 #賤ヶ岳の戦い #お市の方 #羽柴秀吉 #豊臣兄弟 #日本史 #戦国時代