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光秀はなぜ裏切ったのか 5つの説を史料で検証【本能寺の変 完全版】

60秒でわかる日本史

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光秀はなぜ裏切ったのか 5つの説を史料で検証【本能寺の変 完全版】

36 просмотров · 7 дн. назад
60秒でわかる日本史
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1582年、本能寺で主君・織田信長を討った明智光秀。その動機には、主な説だけで5つあります。怨恨説・野望説・四国政策説・黒幕説・突発説を、史料をもとに一つずつ確かめました。 大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、第27回「本能寺の変」で描かれた出来事です。 ▼目次 0:00 はじめに 0:40 第1章 光秀とは何者か 1:36 第2章 6月2日、何が起きたか 2:51 第3章 5つの説を確かめる 3:03 ├ 怨恨説 3:33 ├ 野望説 3:54 ├ 四国政策説 4:53 ├ 黒幕説 5:16 ├ 突発説 5:44 第4章 光秀が残した手紙 6:43 まとめ ▼この動画のポイント ・光秀は坂本城主で、丹波を平定し、近畿の軍事を任された重臣だった ・1582年6月2日未明、本能寺の信長と二条御所の信忠を襲撃。6月13日の山崎の戦いで敗れ、逃走中に落命したと伝わる(「三日天下」は実際には約11日) ・「敵は本能寺にあり」は当時の記録になく、後世に広まった言葉とされる ・怨恨説の「腐った魚」の話は江戸時代の『川角太閤記』が出どころ ・四国政策説は、2014年公表の「石谷家文書」(林原美術館)にある天正10年5月21日付の長宗我部元親の手紙で注目された ・6月9日付の細川藤孝・忠興あての光秀の覚書(永青文庫・重要文化財)には「忠興を取り立てるため」という一文がある。本心か方便かは見方が分かれる ※光秀の動機は、今も決まっていません。本動画の「判定」は、史料の支えの強さを比べたチャンネルとしての見方です。 ※日付は当時の暦(旧暦)によるものです。 ▼出典・参考 ・藤田達生氏の解説(四国政策説) ・呉座勇一『陰謀の日本中世史』(角川新書、2018年) ・藤本正行・鈴木眞哉『信長は謀略で殺されたのか』(2006年) ・福知山市「明智光秀ミュージアム」、亀岡市「明智光秀と本能寺の変」 ・永青文庫(細川宛て覚書) ・画像:歌川芳藤「本能寺に森蘭丸討死之図」(1886年)、勝川春章「武智光秀」の役者絵(1775年頃)、歌川芳藤「織田信長公 清洲城修造御覧之図」(1888年)=いずれもシカゴ美術館所蔵・パブリックドメイン ・画像:「洛中洛外図」(17世紀)メトロポリタン美術館所蔵・パブリックドメイン ※手紙・覚書の画面はイメージ図で、文面は現代語の要旨です。 ※史実には諸説あります。本動画は通説と有力説を紹介するもので、断定するものではありません。 #日本史 #歴史 #本能寺の変 #明智光秀 #織田信長 #豊臣兄弟 #戦国時代