【大麒麟將能】なぜ天才大関は寺に籠城し、最愛の弟子を破門したのか?
相撲伝説と闇
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【大麒麟將能】なぜ天才大関は寺に籠城し、最愛の弟子を破門したのか?
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「【大鵬が"天才"と呼んだ男】大麒麟將能 ep1 | 高校入試の前日に土俵を選んだ秀才——柏戸を苦しめた"うっちゃり"の曲者が、大関に昇りつめるまで」
動画概要欄
高校入試の、前日だった。 佐賀の秀才少年は、机の前で、人生の岐路に立っていた。 進学か——角界か。 学業優秀、生徒会長、夢は防衛大学校。 だが少年は、鉛筆を置いた。 「土俵に、生きる」—— 入試前日のこの決断が、一人の大関を生むことになる。
大麒麟將能。 あの大鵬が「天才」と評した柔らかな取り口で、 横綱・柏戸をうっちゃりで何度も土俵に沈めた**"大物キラー"**。 そして引退後——師匠の死をきっかけに、 弟弟子・**天龍の運命をも変えた「押尾川騒動」**の中心に立つことになる男である。 二所ノ関の名門に生きた知将の前半生を、徹底解剖する。
1942年(昭和17年)6月20日、佐賀県佐賀郡東川副村(現・佐賀市諸富町)—— 整骨院を営む父・善治と母・かつの三男として、堤隆能(つつみ たかよし)は生まれた。 出生時の体重、3,600グラム。 東川副小6年のときには健康優良児に選ばれた、絵に描いたような元気な子である。 諸富中学では柔道の選手として鳴らし、生徒会長も務めた。 しかも学業優秀——将来の目標は、防衛大学校。 文武両道を地で行く、佐賀屈指の秀才少年だった。
その逸材に目を付けたのが、同郷・佐賀が生んだ元大関—— 二所ノ関親方・佐賀ノ花である。 かつて16歳で横綱・玉錦に見出され、 後に大鵬を育て上げる名門・二所ノ関部屋の主だった。 少年の心にも、迷いがあった。 映画**『土俵の鬼』**——初代若乃花の物語に憧れを抱いていたのだ。 進学か、土俵か。 悩み抜いた末、1958年(昭和33年)春、高校入試の前日—— 隆能は、土俵に生きる決意を固めた。 同年5月場所、本名「堤」で初土俵。 部屋の兄弟子には、後の大横綱・大鵬がいた。
1962年(昭和37年)7月、20歳で新十両昇進。 四股名を**「麒麟児」と改める—— 一日に千里を走る伝説の聖獣の名は、期待の証だった。 翌1963年5月場所では13勝2敗で十両優勝**、 そして9月場所、新入幕を果たす。 だが——その場所の稽古中、左足を骨折。 番付は幕下まで転落した。 せっかく掴んだ関取の座からの、どん底—— それでも麒麟児は、不屈の闘志で甦る。 持ち前の足腰の柔らかさと前捌きの巧さを武器に、 再び幕内へと這い上がったのである。
土俵の上の麒麟児は、一言で言えば——曲者だった。 独特の仕切りで観客を沸かせ、 柔軟な下半身から繰り出す吊り、そして伝家の宝刀・うっちゃり。 土俵際まで追い込まれてからの大逆転は、上位陣の悪夢となった。 中でも——剛毅な速攻で鳴らす横綱・柏戸は、 この男のうっちゃりに何度も煮え湯を飲まされ、 角界は麒麟児を**「大物キラー」**と呼んだ。 その実力は数字が物語る—— 殊勲賞5回、技能賞4回、金星3個。 そして兄弟子・大鵬は、この弟弟子の取り口を、こう評したのである。 「天才」——と。
1966年11月、新三役・関脇。 以後、三役上位の常連として力を蓄え、 1970年(昭和45年)5月場所、西関脇で四股名を「大麒麟」と改名。 "児"を脱ぎ捨てた聖獣は、ここから一気に駆け上がる。 好成績を重ね、ついに同年秋場所後—— 大関昇進。 入試前日に土俵を選んだ佐賀の秀才は、 12年の歳月をかけて、番付の最高位級に辿り着いた。 時は、北の富士と玉の海が君臨する**「北玉時代」**—— 大麒麟は、清國、琴櫻らと共に、黄金時代の大関陣を形成していく。
だが——この聡明な男の物語は、 栄光よりもむしろ、その後の運命にこそ、深い影を宿している。 優勝にはついに手が届かなかった大関在位25場所。 「部屋を譲りたい」という師匠の意を汲んだ、あまりにも早い引退。 そして——師匠・佐賀ノ花の死後に待っていた、 まさかの跡目相続の裏切り。 怒れる押尾川は、青葉城と天龍を連れて部屋を飛び出し、 角界を揺るがす**「押尾川騒動」**が幕を開ける—— そして、この騒動こそが、 天龍源一郎を土俵から去らせ、プロレスへと向かわせることになるのだ。 知将の後半生と、騒動のすべては、次回。
このエピソードでは、大麒麟將能の「前半生」——整骨院の三男、防衛大学校を夢見た秀才時代、入試前日の決断、大鵬の弟弟子としての下積み、骨折からの復活、柏戸を沈めたうっちゃり、そして大関昇進までを、資料と証言をもとに紐解いていきます。
▼このエピソードで語られる内容 ・1942年、佐賀・諸富の整骨院の三男に誕生 ・出生時3,600g、健康優良児の少年時代 ・柔道選手にして生徒会長——文武両道の秀才 ・夢は防衛大学校という異色の進路 ・同郷の名伯楽・佐賀ノ花(二所ノ関親方)の勧誘 ・玉錦に見出された師匠と大鵬を育てた名門 ・映画『土俵の鬼』への憧れ ・高校入試前日、「土俵に生きる」決断 ・1958年5月、本名「堤」で初土俵 ・兄弟子・大鵬の背中 ・1962年、20歳の新十両と四股名「麒麟児」 ・1963年、十両優勝と新入幕 ・新入幕の場所での左足骨折 ・幕下転落からの不屈の復活 ・柔らかな足腰と前捌きの巧さ ・独特の仕切りで沸かせた"曲者" ・吊りと伝家の宝刀・うっちゃり ・柏戸を何度も沈めた「大物キラー」 ・殊勲賞5回・技能賞4回・金星3個 ・大鵬が贈った「天才」の評 ・1966年新三役、1970年「大麒麟」改名 ・1970年秋場所後、大関昇進 ・北玉時代の大関陣へ ・そして早すぎる引退と押尾川騒動へ——次回予告
この動画は、栄光の裏に隠された「相撲伝説と闇」を、敬意を持って掘り下げるシリーズの第1回です。
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参考文献・出典(信頼できる公式ソース)
【最優先1a】大麒麟將能 - Wikipedia(日本語版)
日本相撲協会 公式サイト「歴代大関 大麒麟 將能」
コトバンク(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)「大麒麟将能(だいきりん たかよし)」
さがの歴史・文化お宝帳(佐賀市地域文化財データベース)「大麒麟」「佐賀の花」
日刊スポーツ 訃報報道「元大関大麒麟の堤隆能氏死去 膵臓がんのため 68歳」(2010年8月)
大鵬幸喜 - Wikipedia(日本語版)(二所ノ関部屋・兄弟弟子の項)
天龍源一郎 - Wikipedia(日本語版)(押尾川騒動・廃業の項)
二所ノ関部屋・押尾川部屋 - Wikipedia(日本語版)(跡目相続・独立騒動の項)
相撲データベース SumoDB「大関 大麒麟 將能(だいきりん たかよし)」全取組・対戦成績・改名歴データ
北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信著、2015年)
※本動画は上記の公式資料・報道記事・郷土資料に基づき、故人と関係者への最大限の敬意を持って制作しています。 ※画像・映像素材は引用の要件を満たす範囲で使用しています。
#相撲伝説と闇 #大麒麟 #大鵬が天才と呼んだ男 #二所ノ関部屋 #うっちゃり