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岡山城 ~城下電停から天守閣までの道のりと天守内部~

日本国鉄道 Japanese National Railways

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岡山城 ~城下電停から天守閣までの道のりと天守内部~

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岡山城へは、岡山駅前から岡山電気軌道の路面電車に乗り、3つ目の電停「城下」(しろした)で降ります。電停と直結している地下道で道路を渡り、城内まで徒歩約7分です。城内へは無料で入場できますが、天守閣に入るには入場料400円が必要です。後楽園との共通入場券は720円です。それぞれ別に買うと900円なので共通券は2割引きです。 開館時間は9:00~17:30(最終入場は17:00)です。※イベント等延長の場合あり。  岡山城は、備前国御野郡岡山(現・岡山県岡山市北区)にあった日本の城です。国指定の史跡となっています。別名は烏城(うじょう)、金烏城(きんうじょう)です。  戦国時代に、備前東部から興って、美作、備中東部まで勢力を伸ばした宇喜多氏が本拠としたことで近世城郭の基礎が生まれ、その後小早川氏、池田氏により整備、拡張が行われました。  岡山城は標高が十数メートルの丘が連なる小高い土地に建設されました。  当時、旭川河口部は複数の派川に分岐しており、その中の大洲原と呼ばれる広大なデルタ地帯中央に「岡山」(柴岡山とも)、その西隣に「石山」、さらにその北西には「天神山」(天満山とも)の3つの丘が連なり、各時代ごとに要害として使用されたとされています。その中の石山にあった石山城(いしやまじょう)に宇喜多直家が入城・改築し、後に子の宇喜多秀家が隣接する岡山に新たに本丸を設け、石山城を取り込む形で城郭が建造されました。これが岡山城です。  城の縄張は基本的には梯郭式となっており、三段の城郭配置が西側の一方だけに広がる平山城となっています。言いかえると本丸の北から東には郭の無い、非常に防備が薄い縄張となっています。そのため旭川の流路を変更し、天然の堀として東側の備えに利用したとされています。さらには郭の代りとして、「後園(後楽園)」が築かれたとも言われています。 天守は4重6階の複合式望楼型で、出入り口は付属している塩蔵に設けられています。特に初重平面形状が歪んだ多角形をしているため、同じく歪んだ多角形平面の天守台を持つ安土城天主を模したものではないかと言われていますが、羽柴秀吉による大坂城天守を模しているという説もあります。その外観は黒漆塗の下見板が特徴的で、この印象から「烏城(うじょう)」とも呼ばれ、同じ山陽道の隣県の「白鷺城(はくろじょう)」とも呼ばれる姫路城と対比されることもあります。元禄時代の古地図からは、五重の濠に囲まれた城郭と、南北3.5km、東西1.3kmにおよぶ城下町の姿がうかがえます。  明治時代に御殿・櫓・門の大半が取り壊されました。堀は内堀の一部を除いてほとんど埋められて現存する廓は本丸と後楽園だけになっていますが、街路は江戸時代の位置を踏襲しています。さらに第二次大戦中、空襲のため現存していた天守(国宝)を焼失しました。現在までに2つの櫓、本丸付近の石垣、内堀が残り、戦後に天守・不明門・廊下門・六十一雁木上門・塀の一部がコンクリート造で再建されました。現存する月見櫓・西之丸西手櫓は国の重要文化財に指定され、「岡山城跡」として史跡にも指定されています。その他、京橋御門が岡山市南区小串に移築され現存しています。城跡は「烏城公園」として整備される一方、二之丸跡にRSK山陽放送、林原美術館、岡山市民会館が、三之丸跡に岡山県庁、岡山県立図書館などの公共機関が存在しています。現在、内下馬門、内下馬門橋、太鼓櫓の木造復元計画があります。  隣接する大名庭園・後楽園は、水戸・偕楽園、金沢・兼六園とともに、日本三名園として並び称されています。  岡山城天守は国宝に指定されていましたが、1945年(昭和20年)の岡山空襲で焼失してしまいました。  外観復元天守は1966年(昭和41年)に完成しましたが、これは後に建築家となる岡山市出身の早稲田大学理工学部建築学科の学生が戦前に卒業論文のためにまとめていた実測図がもとになっているため、初代天守の内部構造は分かっています。ただし、再建天守と焼失以前の岡山城について、外観は変わっていないとする資料と外観にも違いがあるとする資料に分かれています。また、外観の色に関する記録は残っておらず、再建時に市がどのような判断をしたかや、1996年(平成8年)の初めての塗り直し時の塗料の基準もよくわかっていません。岡山城は烏城と呼ばれていますが、外観の色に関する資料は永山卯三郎の「県通史」に簡単な記述がある程度とされています。また、名古屋城、広島城のように内部の古写真も残っていて焼失前の天守の2階の内部には24畳敷きの城主の間が有り押板、違い棚、帳台構を一列に並べた座敷飾が有り、現存天守にはない高級な書院造でしたが、天井はなく、丸太の牛梁や梁がむき出しでした。  岡山城天守は2022年(令和4年)11月まで大改修が進められました。外観の塗料については、松本城や熊本城などでの視察も行われ、光沢によっては日光の反射で白く見えてしまうことも考慮した上で決定されることになりました。 2025年8月撮影