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【やしきたかじん】絶縁8年、父が付けた名でデビュー ― 何でも言えた男が、語れなかったこと

時代を生きた声

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【やしきたかじん】絶縁8年、父が付けた名でデビュー ― 何でも言えた男が、語れなかったこと

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やしきたかじんさんの生い立ちと、父との物語です。関西で「何でも言える男」と呼ばれたたかじんさんが、生涯、自分の言葉では語らなかった父のこと――その始まりを、公的な資料と証言をもとにたどります。 1949年、大阪・西成。父は朝鮮半島から海を渡ってきた人でした。息子たちの将来を案じた父は、母と籍を入れず、四人の息子は全員、母の姓「家鋪」で届けられました。戸籍のどこにも、父の名はありません。 その父が、易者の付けた「たかひと」という名を、一文字だけ読み替えました。「たかじ」。後の、やしきたかじんさんです。 1968年、「新聞記者か音楽家になりたい」と告げた息子を、父は勘当しました。 自費で作った初めてのレコード『娼婦和子』は、発売の日に禁止されました。 初めてのコンサートでは、客席が途中で空いていきました。 東京へ出ても、一年で京都に戻りました。 そして勘当から八年後の1976年10月21日。 デビュー・シングル『ゆめいらんかね』の作曲者の欄には、「家鋪隆仁」――母の姓と、父が読みを変えたあの名前が刻まれていました。 なぜ父は、息子の戸籍から自分の名を消したのか。 すべてを失った息子が、なぜ最後に、父の付けた名でデビューしたのか。 その答えを、1926年の朝鮮半島から、1976年の一枚のレコードまで、たどっていきます。 次回は、40年間秘められていた結婚――最初の妻と、一人娘の物語です。 【本動画の内容】 ・西成の家 ― 父・権三郎と四人の息子 ・易者の付けた名前と、父が変えた一文字 ・ドラムは捨てさせ、本は黙って許した父の教育 ・桃山学院高校 新聞部 ― 堀内孝雄さん、谷村新司さんとの出会い ・NHK『あなたのメロディー』採用 ― 高校生の作った曲 ・1968年、勘当 ― 「新聞記者か音楽家になりたい」 ・京都・祇園の弾き語り時代 ― 笑福亭鶴瓶さんの証言 ・雨の夜、友人にだけ打ち明けたこと ・発売禁止になった『娼婦和子』 ・1976年『ゆめいらんかね』― 作曲者・家鋪隆仁 【主な参考資料】 ・角岡伸彦『ゆめいらんかね やしきたかじん伝』小学館(2014年) ・桃山学院中学校・高等学校 公式サイト「卒業生の情報」 ・デイリースポーツ「やしきたかじんさんの隠された出自とは」(2014年9月、記者・北村泰介) ・オリコンニュース「たかじんさんの秘話満載 関テレ『胸いっぱい』追悼SP」(2014年1月9日) ・スポーツニッポン アネックス(2014年1月11日) ・LITERA 書評記事(2014年9月15日) ・Mikiki(タワーレコード)出嶌孝次「その時歴史は動いた 第54回 やしきたかじん」(2014年4月21日) ・キングレコード 公式ページ(『ゆめいらんかね』『TAKAJIN』) ・ウィキペディア「やしきたかじん」「娼婦和子」「ゆめいらんかね」 ※本動画は、公開されている資料・証言をもとに構成しています。 #やしきたかじん #昭和の歌手 #時代を生きた声 #昭和ドキュメンタリー #関西