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【板東英二 中日】徳島商で延長18回を投げぬき甲子園史上最多83奪三振を記録し準優勝!中日では5度の二桁勝利を挙げるも故障と戦い続けた剛腕 引退後は野球解説者から人気タレントとしてお茶の間でも愛された

おかむら村長の昭和野球塾

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【板東英二 中日】徳島商で延長18回を投げぬき甲子園史上最多83奪三振を記録し準優勝!中日では5度の二桁勝利を挙げるも故障と戦い続けた剛腕 引退後は野球解説者から人気タレントとしてお茶の間でも愛された

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板東英二選手は、徳島県出身。徳島商高ではエースとして活躍し、1958年夏の甲子園で大会新記録となる83奪三振をマークしました。この記録は現在も大会記録として残っており、高校野球史に名を刻む大記録です。決勝では柳井高に敗れ準優勝。この大会での圧倒的な投球により、「怪物右腕」として全国にその名を知られる存在となりました。 高校卒業後は慶応大進学も取り沙汰されましたが、中日ドラゴンズへ入団。甲子園の英雄として大きな期待を背負い、プロの世界へ飛び込みます。 1年目から一軍で登板機会を得ると、1960年には10勝を挙げるなど先発投手として活躍。その後も中日の主力投手としてローテーションを守り、1961年には12勝、1962年には11勝を記録するなど、二桁勝利を3度達成しました。速球を武器に三振を奪う投球スタイルで、多くの強打者と渡り合いました。 しかし、プロ入り後は高校時代から酷使された肩や肘への負担が徐々に表面化します。登板を重ねるにつれて故障に苦しむようになり、本来の球威を維持することが難しくなりました。それでも先発、リリーフの両方でチームを支え、最後まで懸命に腕を振り続けました。 引退後は野球解説者として活動し、その軽快な語り口が人気を集めます。さらにタレントとしても活躍し、『マジカル頭脳パワー!!』や『世界・ふしぎ発見!』など数々の人気番組に出演。「ゆでたまご」のCMでも親しまれ、野球選手からタレントへと転身した代表的な存在となりました。 板東英二選手は、甲子園史上最多の83奪三振という不滅の記録を打ち立てただけでなく、プロでも中日の主力投手として活躍。そして引退後には芸能界でも成功を収めた異色の存在です。その歩みは、野球界だけでなく日本のスポーツ界全体に大きな足跡を残しました。 1通算成績 77勝65敗 防御率2.89