Перейти к содержимому

【町井久之】1000人を率いた「猛牛」――六本木に城を築いた日韓フィクサーの栄華と凋落

偉人の光と闇

0:00 / 0:00

【町井久之】1000人を率いた「猛牛」――六本木に城を築いた日韓フィクサーの栄華と凋落

475 просмотров · 2 дн. назад
偉人の光と闇
24 подписчика
475 просмотров · 2 дн. назад
戦後日本の裏社会で、「猛牛」と恐れられた男がいました。 その名は、 町井久之。 韓国名・鄭建永。 東京に生まれ、朝鮮半島で少年時代を過ごし、再び日本へ戻った在日韓国人二世です。 終戦後の混乱の中、反共勢力の実力部隊として頭角を現し、やがて1000人を超える規模へ成長した東声会を率いるようになります。 しかし、町井の世界は暴力団だけではありませんでした。 右翼の大物・児玉誉士夫。 山口組三代目・田岡一雄。 戦後日本最大のプロレススター・力道山。 さらに、日本の政財界と韓国側の人脈。 町井は、本来なら交わらないはずの世界をつなぎながら、次第に「街の実力者」から日韓をまたぐフィクサーへと変わっていきました。 1960年代には東声会の勢力を拡大する一方、東亜相互企業を設立。 不動産、レジャー、日韓関連事業などへ進出し、暴力の世界から実業界へと活動の中心を移していきます。 そして1973年。 町井は六本木に巨大な複合施設、 TSK・CCCターミナル を完成させます。 開業時には政界、財界、芸能界、スポーツ界から多くの著名人が集まりました。 かつて「暴力団会長」と呼ばれた男が、六本木の中心に築いた巨大な「城」。 それは町井久之の権力と人脈が頂点に達した瞬間でもありました。 しかし、その絶頂は長く続きません。 ロッキード事件による児玉誉士夫の失脚。 大規模開発事業の行き詰まり。 東亜相互企業の倒産。 そして華やかだったTSKは、やがて「幽霊ビル」と呼ばれるまでに衰退していきます。 暴力で名を上げながら、暴力団と呼ばれることを嫌った男。 裏社会の力を利用しながら、表社会の実業家として認められようとした男。 日本に巨大な影響力を持ちながら、韓国とのつながりも持ち続けた男。 町井久之とは、一体何者だったのでしょうか。 今回は、戦後の焼け跡から東声会、児玉誉士夫、山口組、日韓関係、そして六本木TSKビルの栄光と崩壊まで、 町井久之という男の「光と闇」 を追います。