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焼けた安土城を、秀吉はなぜ急がせたのか|「あなたも私も外聞が悪い」丹羽長秀への手紙

ゆくえ不明課

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焼けた安土城を、秀吉はなぜ急がせたのか|「あなたも私も外聞が悪い」丹羽長秀への手紙

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ゆくえ不明課
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本能寺の変のあと、焼けて消えたと語られてきた安土城。 けれど、焼けてから2か月後に羽柴秀吉が書いた手紙には、「安土の普請を、急いで命じてほしい」「このままでは、あなたも私も外聞が悪い」とありました。 手紙を受け取ったのは丹羽長秀。かつて信長から、安土山の普請を命じられた人です。 焼けた城で、秀吉はなぜ工事を急がせたのか。吉田兼見の日記、信長公記、宣教師フロイスの手紙、焼け跡の町の掟など、10の記録を開いてたどります。 こちら、ゆくえ不明課です。 消えてしまったものの行方を、残された記録でたどっていきます。 ――――――――――――― ■ 目次 0:00 焼けた安土城と、一通の手紙 0:56 第一章 焼けた日と、2か月後の手紙 3:34 第二章 焼ける前の13日間 7:01 第三章 城に戻る人 9:34 第四章 城が使われなくなるまで 11:15 秀吉は、なぜ急がせたのか 12:21 焼けたあとにも、続いていた記録 ――――――――――――― ■ 開いた記録と参考資料 ・東京大学史料編纂所 編『大日本史料』第11編之1(1927年)/国立国会図書館デジタルコレクション  (吉田兼見『兼見卿記』、大村由己『惟任退治記』、フロイス書簡(日本耶蘇会年報の訳文)、羽柴秀吉書状 10月18日(金井文書)) ・同 第11編之2(1928年)  (羽柴秀吉書状 8月11日(専光寺所蔵文書)、『多聞院日記』) ・同 第11編之3  (織田信雄 安土山下町掟、信雄書状、徳川家康書状、『柴田退治記』) ・同 第11編之7  (水原文書「当所侍衆申合条々事」) ・太田牛一『信長公記』/国立国会図書館デジタルコレクション ・滋賀県 編『滋賀県史』第5巻(1928年)(八幡山下町中掟)/国立国会図書館デジタルコレクション ・参考:滋賀県「特別史跡安土城跡」の調査報告と解説、文化遺産オンライン「安土城跡」、『近江蒲生郡志』巻6(1922年)、佐藤大規「安土城天主の平面復元に関する試案」『史學研究』255(2007年) ※8月11日の書状に年は書かれていません。天正10年(1582年)とするのは『大日本史料』の編者の比定と、書状の中身からの推定です。 ※6月15日の火を誰がつけたかは、記録によって分かれています。火をつけたところを見た人の記録は、見つかっていません。 ※「若君を安土に迎えるための工事だったのでは」という考えは、記録をもとにした推論です。 ※三法師、蒲生賢秀、神戸信孝などの絵は、後の時代に描かれたものです。