【444年の謎】明智光秀は天海になって生き延びたのか、AIに当時の日記で“2人の年齢”を照合させたら別の男が残った
AI歴史捜査ファイル
0:00 / 0:00
【444年の謎】明智光秀は天海になって生き延びたのか、AIに当時の日記で“2人の年齢”を照合させたら別の男が残った
865 просмотров · 5 дн. назад
AI歴史捜査ファイル
54 подписчика
865 просмотров · 5 дн. назад
山崎の戦いで死んだはずの明智光秀は、実は生き延びて僧となり、徳川家康に仕えた南光坊天海になった——。
この有名な説は本当なのか。比叡山の石灯籠・春日局・多聞院日記・信長公記・惟任退治記・公家の日記・弟子たちの伝記など11の手がかりをAIに読ませ、明智光秀・明智秀満・足利将軍の落胤、そして「まだ名前の挙がっていない誰か」の4つの席の確率を、手がかり1つごとに動かしていきました。
日光の明智平の名付け、秀忠と家光で「光秀」になる名前の暗号の真偽まで——。あなたの予想と比べながら見てください。
■ 目次
0:00 冒頭
1:43 天正十年の山崎
3:43 AIのルール
5:03 容疑者1 明智光秀
8:04 容疑者2 明智秀満
9:52 容疑者3 足利の落胤
12:03 視点を変える
12:26 四つ目の席
14:51 AIの最終判定
16:59 都市伝説を検証 秀忠と家光で光秀
18:10 残る謎
18:36 結論
■ 主な出典
・Wikipedia「天海」(『東叡山開山慈眼大師縁起』・『孝亮宿禰日次記』・須藤光暉の生年比較・経歴の年)
・Wikipedia「明智光秀」(生年の諸説・『当代記』『明智軍記』・山崎の戦い)
・Wikipedia「明智秀満」(坂本城の最期・『惟任退治記』『川角太閤記』)
・『多聞院日記』天正10年6月17日条(ブログ「日本中近世史史料講読で可をとろう」の翻刻)
・Wikipedia「徳川家光」(元和6年の元服・金地院崇伝『本光国師日記』・春日局)
・Wikipedia「春日局」(斎藤利三の娘・家光の乳母)
・Wikipedia「斎藤利三」
・Wikipedia「徳川秀忠」(天正18年の元服・秀吉の偏諱)
・Wikipedia「足利義澄」(永正8年=1511年没)
・Wikipedia「信長公記」(天正10年5月 家康の安土での饗応)
・Wikipedia「惟任退治記」(大村由己・天正10年)
・Wikipedia「山崎の戦い」
・Wikipedia「慈眼堂」(大津市坂本・天海の廟)
・Wikipedia「喜多院」(川越・無量寿寺北院)
・Wikipedia「寛永寺」
・Wikipedia「日光東照宮」
・Wikipedia「明智平」(日光・名の由来の伝承)
・和樂web「明智光秀は天海だった?」(松禅院の石灯籠「慶長二十年二月十七日 奉寄進願主光秀」・明智平・桔梗紋)
・歴ネタまとブ「明智光秀が天海になった説」(秀忠・家光の名・灯籠・陽明門の紋)
・Japaaan「明智光秀=天海説はなぜ語り継がれるのか」(須藤光暉『大僧正天海』1916年の記述)
・INVISIBLE Dojo「明智光秀=天海僧正説はいつ、誰が唱えた?」(明治の初出調べ)
・歴史街道「天海は蘆名氏ゆかりの人物だった? 会津美里に残る名僧の生誕秘話」(龍興寺・両親の墓・随風)
・BUSHOO!JAPAN「南光坊天海の生涯」(経歴・光秀説の根拠と反論)
・須藤光暉『大僧正天海』(冨山房・1916年)
#明智光秀 #天海 #明智光秀天海説 #本能寺の変 #徳川家康 #春日局 #都市伝説 #歴史ミステリー #日本史 #AI #AI歴史捜査ファイル