全財産五両で泥だらけの女を救った飯屋…十日後、店の前に行列ができた理由|民話|江戸時代|伝説|昔話|
人情あふれる民話劇場
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全財産五両で泥だらけの女を救った飯屋…十日後、店の前に行列ができた理由|民話|江戸時代|伝説|昔話|
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全財産五両で泥だらけの女を救った飯屋…十日後、店の前に行列ができた理由|民話|江戸時代|伝説|昔話|
元禄を過ぎた頃の江戸・日本橋。
細い裏路地に、一軒の小さな飯屋がありました。
店主の名は権次、二十七歳。
伯父から受け継いだ古い暖簾と黒い釜を守っていましたが、店の評判は最悪。
「飯は石のように硬い」
「汁はただの湯だ」
そんな陰口ばかりが広がり、客は次々と離れていきます。
ついには、権次の手元に残った金はわずか五両。
それが、店を守るための全財産でした。
そんなある朝。
日本橋の朝市で権次は、泥だらけになり、地面へ額をつけている一人の女を目にします。
女は食べ物を盗んだとして棒で打たれていました。
権次は、その姿に幼い頃の自分を重ねます。
そして、店のすべてだった五両を差し出しました。
「よせ。その娘は俺が面倒を見る」
周囲の人々は笑いました。
「まずい飯屋が、飯食い虫を五両で買った」
しかし権次は一度も振り返りませんでした。
女の名は、お芳。
店へ連れて帰ると、彼女は一杯、二杯、三杯……
とうとう十杯もの飯を食べ尽くしてしまいます。
店の釜は空。
翌日の米さえありません。
それでも権次は、お芳を追い出そうとはしませんでした。
翌朝、権次は米屋へ頭を下げ、
「十日で返す。米を貸してくれ」
と頼み込みます。
十日間で借金を返せなければ、店は終わり。
そんな状況の中、お芳が権次の作った汁を一口味見しました。
そして静かに言います。
「欠けているのは、生姜と葱と鶏の骨です」
実はお芳は、かつて日本橋でも名の知られた料亭の竈で働き、昆布、鰹節、火加減、米の浸し方まで体で覚えた女だったのです。
しかし主人・源兵衛はその技を帳面へ写し取ったあと、お芳を人買いへ売り渡していました。
権次は言いました。
「ここは料亭ではない。思う通りに煮てくれ」
そこから、店の味が変わり始めます。
米は冷水へ浸し、芯まで水を含ませる。
昆布は煮立つ直前に上げる。
鰹節は沈むのを待ってから濾す。
鶏の骨は弱火で煮て、灰汁を丁寧に取る。
塩は三度に分け、醤油は最後に落とす。
お芳の手によって、これまで「まずい」と笑われていた飯屋から、誰もが足を止める香りが漂い始めました。
最初に入ってきたのは一人の大工。
一口目で箸を止め、
二口目で肩の力を抜き、
三口目には飯を追加しました。
翌日には仲間を連れて戻ってきます。
魚屋、髪結い、職人たち。
一人、また一人と客が増え、ついには店の前に行列ができるようになりました。
そして十日目。
権次は借りた米の代金をすべて返します。
かつて客の来なかった飯屋は、お芳と権次の二人の手で、少しずつ生まれ変わっていったのです。
しかし、その評判を聞きつけて現れた男がいました。
お芳をかつて売った料亭主人・源兵衛です。
源兵衛は五十両の包みを差し出し、
「五十両で戻す。その舌は、うちの竈の道具だ」
と言い放ちます。
権次はその大金を見ることもなく答えました。
「家族は売らぬ。金では動かぬ」
五両で救った女に、今度は五十両。
それでも権次は、お芳を金で手放そうとはしませんでした。
怒った源兵衛は、翌日、路地で料理勝負を挑みます。
源兵衛は朱塗りの美しい器と、かつて奪った秘伝で華やかな汁を作ります。
一方のお芳は、煤けた鍋と欠けた碗。
豪華さなど何もありません。
しかし判者が両方の汁を口にした時、勝敗は決しました。
勝ったのは、奪った秘伝ではありませんでした。
人の腹を満たし、もう一度食べたいと思わせる、お芳と権次の飯屋の味だったのです。
その後、源兵衛の店は衰え、お芳は権次のもとに残ります。
やがて二人は夫婦となり、同じ黒い釜を囲みながら店を守り続けました。
最初に差し出した、たった五両。
その金で権次が手に入れたのは、下女ではありません。
同じ飯を食べ、同じ火を見つめ、共に生きていく家族だったのです。
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