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花尾城の記憶『前田の盆踊 (前田踊)』麻生家と大内家との戦での戦死者供養・慰霊【歌詞・歴史解説あり】(福岡県八幡東区)

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花尾城の記憶『前田の盆踊 (前田踊)』麻生家と大内家との戦での戦死者供養・慰霊【歌詞・歴史解説あり】(福岡県八幡東区)

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🌐福岡県 北九州市 八幡東区 前田 🔶明応年間 (1492~1501年) の室町時代、この地を治めていた花尾城主の麻生家と、周防山口の大内家とで 三年にわたる大きな戦があり、長い攻防の末、籠城していた麻生家は降伏し、大内家の支配下となった歴史があります。 前田の盆踊 (前田踊) はその時の戦で亡くなった将兵や村人たちを悼み弔い、また麻生家の再興を願って、生き残りや村人が踊り出したことに由来すると云われます。 🔶前田の盆踊 (前田踊) で唄われる曲目は 『みちのく』と『思案ばし』の二曲で、その間に『ほめ言葉』と『返し言葉』が入ります。 本動画では『お小夜・沢七』も唄われています。 以下、それぞれの歌詞を記載します。 《みちのく》 一、  みちのくのしのぶとすれどはつぎくの  いろにでにけん『ドッコイ』わがこいは  ものやおもうとひとやみん 二、  よもすがらつゆにもひぬやひとりたび  ならのおがわにうつなみは  きようのあらしにたつなみや 三、  そらみればやよいのにわにきをとめて  なつはたまがわほたるよぶ  あきはみかさにつきまちや 四、  つくばねのかどまつたててゆずりはの  たれにみせんやおきしどの  ゆくえしらぬやちよやちよ 五、  こいなればしのぶにつまもつゆのたま  そのひぐらしのあさがをも  にくやつれしとあさからし 六、  よのなかにふでにもはなのとりべやま  ひにくれんりのちぎりにも  つきにむらくもはなにかぜ 七、  いしやまやつきみはせたのかつらばし  わけてなだかきひとつまつ  とかくふたばにちよかけて 八、  よもすがらおもいしきみのいしづえや  いたきのぼりてしもみれば  たみのかまどもけむりたつ 九、  たのしみやひわことかけんねたますや  はるのはつねのうぐいすの  あきはみねたつしかのこえ 十、  まつむしやすずむしけうのくつわむし  なくねたえせぬふけでさえ  みやまおろしのしかのこえ 《ほめ言葉》  暫く、暫く、しばしとどめて恥ずかしながら、  わたしや江州反物売で、  売ってしもたら喰てしもた、  そこで思案の最中に三味や太鼓のおとがする、  立ちいでみれば盆踊り、  盆の供養に“チョト“ほめやんしよう、  地ぶたいさんをほめようなら声は日本一の谷、  踊子さんをほめようなら  “うす雪姫“にもさもにたり、  ほめる言葉は数々あれど舌の廻らぬ恥ずかしさ、  先づはこれにて御免、御免 《返し言葉》  どこのどなたかしらねども  ぼんぶらおどりのぼんおどり  ほめてくださるありがたさ、  御礼を申すはずなれど踊りなかばのことなれば、  御礼は秋の独(にご)り酒  さあさ地ぶたい始め、始め 《思案ばし》 一、 『ソレソレ ヤアットエ』  さいぎようほうしのぼんさんが 『ハリショ』  ふじをながめてたちどまる 『ヨォーイヨイコノ ヨーイヤナー』 二、  あみだにょらいとこいすれば  にせもさんせもごくらくに 三、  うめわかまるはふびんきく  とまりちがいてすみだがわ 四、  うめのはながいさくらがい  かいもいろいろあずまかい 五、  ゆきひらさまをつりこんで  あまのこなればまつかぜや 六、  まつというじはきみきへん  きみをはなれてきがのこる 七、  むすめしたがるおやたちは  させてよろこぶしゅすのおび 八、  かわばたとおるはたきぎうり  うえもきがゆきやしたもゆく 九、  われたもあればわれんのも  あるはさらやのえんのした 十、  そろいそろうたつきのよに  おいもわかきもおんどとる 《お小夜・沢七》北原 白秋  お小夜 狭吾七 昔の夢よ      いまはとび散る鉄の花  火の粉 火の滝 火の流れ      誰に焦がれて たつ煙じゃえ 🟪八幡東区『前田』の由来 天正十四年、豊臣秀吉が九州征討の時、花尾城主麻生家氏がこれに従わなかった為、『前田利家』に命じて花尾城攻撃の陣を張ったと云われており、これが『前田村』の地名となったと伝えられています。