「天才少女」だけでは語れない美空ひばり|昭和を歌い続けた人生
時代の記憶
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「天才少女」だけでは語れない美空ひばり|昭和を歌い続けた人生
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時代の記憶
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戦争の記憶が残る横浜、焼け跡から立ち上がる町、映画館とラジオの時代、高度経済成長、テレビの普及、そして東京ドーム。
美空ひばりの52年をたどると、そこには昭和という時代の風景が重なって見えてきます。
本名・加藤和枝。1937年に横浜で生まれ、幼いころから人前で歌い始めた彼女は、終戦後に家族と舞台活動を開始しました。やがて「美空ひばり」の名で映画とレコードの世界へ進み、12歳で全国に知られるスターとなります。
映画館で姿を見て、ラジオやレコードで声を聞く――テレビ普及以前の新しいスターの形を象徴した存在でもありました。
1950年代には映画、ラジオ、劇場を横断し、1960年代には「柔」「悲しい酒」「真赤な太陽」など性格の異なる曲を歌います。その変化は、戦後日本の暮らしや音楽の変化とも無関係ではありません。
一方、1970年代には活動を取り巻く環境が厳しくなり、それでも劇場公演を続けました。1974年には広島平和音楽祭で「一本の鉛筆」を歌います。
1980年代には母と弟たちを相次いで見送り、1987年には自身も病気で入院。それでも歌手活動へ戻り、1988年の東京ドーム公演へたどり着きます。
そして昭和が終わった直後の1989年、「川の流れのように」を残し、52歳でその生涯を閉じました。
この動画では、美空ひばりという一人の歌手を通して、戦中から戦後、復興、高度成長、テレビ時代、昭和の終わりまでを見つめます。