「日本書紀」の深層を解く 「百済三書」の資料的性格と編集における百済系貴族との暗闘
日本及び東アジアの古代史を科学する
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「日本書紀」の深層を解く 「百済三書」の資料的性格と編集における百済系貴族との暗闘
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日本及び東アジアの古代史を科学する
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本ドキュメントは、国立歴史民俗博物館研究報告(第194集・2015年3月)に掲載された仁藤敦史氏の論文「『日本書紀』編纂史料としての百済三書」に基づき、古代東アジア史および『日本書紀』の編纂史料として極めて重要な位置を占める「百済三書」(『百済記』『百済新撰』『百済本記』)の史料的性格、成立時期、編纂主体、および用語構造を総合的に試論・整理したブリーフィング文書である。
主な帰結と要旨
成立時期と編纂主体: 百済三書の最終的な成立時期は8世紀初頭と結論づけられる。百済本国の原史料(百済本位の書き方)を基礎としつつ、白村江の戦い(663年)以降に倭国へ亡命した百済系遺民・亡命百済貴族層が、自らの系譜や奉仕の起源を証明し日本古代国家へ迎合する立場から再編纂・献上したものである。
三書の成立順序とそれぞれの目的: 従来の想定とは異なり、三書は**①『百済本記』 → ②『百済記』 → ③『百済新撰』**の順序で編纂された可能性が高い。
『百済本記』: 亡命百済王氏の直接の祖(武寧王~威徳王代)の時代を描き、天皇・日本への奉仕の由来を語る中心史書として最初に成立。
『百済記』: 聖明王代(6世紀)の外交的理想を過去の肖古王代(4世紀)に投影し、倭国との通交開始および「任那」支配の歴史的正統性を主張する目的で成立。
『百済新撰』: 8世紀初頭の『日本書紀』編纂直前期に、系譜的に断絶・問題のあった有王~武寧王代の時代を語り、傍系王族の後裔を称する百済系諸貴族の共通認識をまとめる目的で追増・成立。
「古さ」と「新しさ」の二項対立の止揚: 三書には推古期以前の古風な字音仮名や「百済本位」の記述(古い要素)と、「日本」「天皇」「貴国」といった7世紀後半以降の用語(新しい要素)が併存する。これは『日本書紀』編者による全面的な捏造・潤色ではなく、原本への改変を最小限にとどめて分注に引用した『日本書紀』編者の原文尊重姿勢と、時代ごとの原史料を活かしつつ改変を加えた亡命百済人のせめぎ合いに由来する。
百済と倭国の外交構造(「第三の傾斜的関係」): 三書で国号表記が不統一(『百済記』=「貴国」、『百済新撰』=「(大)倭」、『百済本記』=「日本」)である点は、原史料の段階的な違いを反映している。特に『百済記』で多用される「貴国」は、臣従冊封関係でも完全な対等関係でもない、**倭国を上位の大国として敬仰しつつも対当な好意(「修好」)を結ぶ「第三の傾斜的関係」**を示す概念である。