「努力が報われる」と思うと、苦しくなる――結果を手放し、功徳を分かちあう (短い法話693)
YouTube仏教法話 北海道岩見沢市・幌向善光寺 ~北の寺からch~
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「努力が報われる」と思うと、苦しくなる――結果を手放し、功徳を分かちあう (短い法話693)
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北海道岩見沢市幌向 浄土宗西山禅林寺派「善光寺」 大久保瑞昭住職による短時間で聞けるショート法話です。 #仏教 #浄土宗 #西山派 #法話 #お経 #念仏 #北海道 #岩見沢 #幌向
※当・善光寺は、檀家さんより、年間、維持費として一万円、十夜法要への寄付金として五千円~をいただいております。
※当・善光寺では、いったん檀家になり、それを辞める場合でも、他の多くの寺院と同様に、「離檀料(りだんりょう)」は必要ありません。
※随時、御朱印を承っています(要予約)。
先日、明石家さんまさんが、こんなことをおっしゃっている動画を拝見しました。
「努力を認めて欲しい人は、失敗しますね。努力が報われると思う人はダメですね。報われると思ってやっちゃダメなんですよ。人は見返りを求めると、ろくなことがない。見返りなしでできる人が、一番素敵な人やね。」
今していることは、必ず報われる。成功するはずだ。
そう思っていると、結果に囚われてしまいます。そして、思うような結果が出なければ、「こんなに頑張ったのに、なぜ?」と腹を立ててしまう。
努力したからといって、必ず望んだ結果が得られるわけではありません。
例えば、売れない歌手がいたとして、いつまで経っても観客が4、5人しかいなくても、「私は歌うことが好きだから」と歌い続けることができたなら、それは素敵なことです。
もちろん、売れた方がいい。より多くの人に聴いてもらうための努力も必要でしょう。
しかし、「ヒットする」「人気者になる」という結果は、本人の努力だけで決まるものではありません。時代の流れや巡り合わせ、周囲の人との縁など、さまざまな要因によって結果は生まれます。
ですから、「努力したのだから、それに見合った結果があって当然だ」と考えてしまうと、かえって苦しくなるのです。
これは仏教でいう「執着」とも通じます。
「自分はこれだけ頑張ったのだから、これだけの見返りがあるはずだ」という思いは、結果を自分のものとして握りしめている姿です。
考えてみれば、どれほど努力したとしても、その結果を生み出したのは、自分の力だけではありません。人との縁や環境、時代、さまざまな条件に支えられて、今の結果があります。
だからこそ、その結果を「自分のもの」として握りしめるのではなく、いただいたものとして受け取り、分かちあっていく。
そこに仏教の智慧があるのではないでしょうか。
善導大師は、
「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」
とお示しになっています。
「願わくば、この功徳をもって、平等に一切に施し、ともに菩提心を発して、安楽国に往生せん。」
私たちは、どうしても「自分がどれだけ得をしたか」「自分がどれだけ認められたか」と、自分中心に物事を考えてしまいます。
だからこそ、「平等に一切に施し」という言葉に立ち返る。
自分の努力や、その結果さえも、自分一人で握りしめるのではなく、いただいた功徳として、他の人と分かちあっていく。
結果を求める心をすべて捨てることは、私たちには難しいことです。
それでも、「見返りがなければ意味がない」というところから少し離れて、今、自分にできることをする。
そして、その功徳を自分だけのものにしない。
その生き方こそ、さんまさんの言う「見返りなしでできる人」に近づいていく道なのかもしれません。
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善光寺のブログ http://blog.livedoor.jp/zenkojinamu/