【富司純子・藤純子】「散ってこそ花」――9年で90本、26歳で自ら幕を引いた理由
時代を生きた声
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【富司純子・藤純子】「散ってこそ花」――9年で90本、26歳で自ら幕を引いた理由
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富司純子さん、藤純子時代の物語。「緋牡丹のお竜」を演じた東映の看板女優と、東映プロデューサーの父・俊藤浩滋さん、大阪で3人の子を育てた母、そして京都の店「おそめ」の女主人・上羽秀さん。1945年の京都から、2001年の父の死までの話です。第1話。
1945年、終戦の年の京都。木屋町のダンスホールで、妻と子のある男が、祇園の芸妓と出会いました。男は「独り者や」と言いました。その年の12月、和歌山で女の子が生まれます。純子さんです。10か月後、京都で、父のもう一人の娘が生まれました。大阪の家に、父はほとんど帰りませんでした。母は内職で、3人の子を育てました。生活費は、京都の店に取りに行くよりありませんでした。店の2階で、女主人は、大阪の家の男の子にご飯を食べさせながら、こう言ったといいます。「うちが、あの子たちのお父さん、取ってしまったんやさかい。しゃあないやないの」。娘は17歳で東映京都撮影所に立ちました。父は猛反対でした。宝塚も、女優も、そして結婚も。9年で90本近く。26歳、婚約会見で娘は言い切りました。「散ってこそ花、私は満開のうちに散りたかった」。父は娘の映画で会社を儲けさせ、娘を4年待たせ、自分は77歳で、その女主人と籍を入れました。娘は南座に出るたび、その家にひと月近く泊まりました。そして2013年、手記にこう書いています。「母を苦労させたこと、苦しめたこと、その仕打ちに対して私は今でも許していない」。
▶ 第2話予定:富司純子として ― 17年ぶりの復帰、そして母として
【本動画の内容】
・1945年、木屋町のダンスホール ― 俊藤浩滋さんと、祇園「おそめ」こと上羽秀さん
・「独り者や」― 妻と子は、もういました
・1945年12月、和歌山県御坊 ― 純子さん誕生。父は、京都
・10か月後、京都で生まれた、父のもう一人の娘
・5歳で大阪へ ― 母と祖母が、3人の子を育てた
・木屋町仏光寺の家 ― 1階はバー「おそめ」、2階は父と秀さんの家
・生活費を取りに来た、父の妻 ― やがて、一番上の男の子が
・「ボン、食べて行きや」―「いただきます」
・「うちが、あの子たちのお父さん、取ってしまったんやさかい」
・母は内職をしながら、娘に地唄舞とバレエを習わせた
・発表会のたび、京都から届いた着物
・1960年、父が東映へ ―「俺をプロデューサーにしてくれないか」。40代の遅い出発
・中学のころ、宝塚に憧れた娘 ― 父が、反対しました
・1963年、東映京都撮影所 ― マキノ雅弘さん「東映でなったらええやないか」
・父は猛反対 ― マキノさん「俺が責任を持つから、お前は黙っていろ」
・芸名「藤純子」の由来 ―「藤の花が好きだったからでね」
・占い師の言葉 ―「結婚したらやめる名前です」
・デビューから芸者、女郎の役 ― 20歳「自分の肉体少しも汚さんと」
・木下惠介監督のCM ― 脱ぐことを拒んだ娘
・1966年『源義経』静御前 ― 共演した歌舞伎役者
・1968年『緋牡丹博徒』― 「緋牡丹のお竜」誕生
・父の注文「高倉も、やくざに変えろ」
・交際3年目の挨拶 ―「3年待つように」。3年後 ―「もう1年待つように」
・1971年11月9日、婚約会見 ―「結婚をきっかけに引退します」
・「散ってこそ花、私は満開のうちに散りたかった」
・岡田茂社長の釘 ―「引退するということだけは、発言しないように」
・1972年3月4日『関東緋桜一家』公開 ― 初日だけで25万人
・最後の台詞 ―「皆さん……お世話になりました」
・1972年3月30日、ホテルオークラ ― 四代目尾上菊之助さんと結婚、26歳
・岡田さんの挨拶と、父が言ったという言葉 ―「必ず純子のアナを埋めてみせるから」
・娘のいない東映 ― 翌年から、任侠映画が当たらなくなった
・1974年、父は京都撮影所へ ― 1978年、銀座「おそめ」閉店
・京都・岡崎の家 ― 能舞台だけで1億円、家は10億円
・1989年、17年ぶりの映画『あ・うん』― 新しい芸名「富司純子」
・「みんなに愛された藤純子は、そのまま宝箱の中に」
・岡崎の家の表札 ―「俊藤浩滋」と「上羽」
・南座に出るたび、その家にひと月近く泊まった娘
・1994年、父77歳、秀さん71歳 ― 籍を入れた日。娘を4年待たせた父が、23年
・2001年10月12日、父死去、84歳 ― 喪主の名は「俊藤秀」
・2012年10月1日、秀さん死去、89歳
・2013年の手記 ―「その仕打ちに対して私は今でも許していない」
【主な参考資料】
・石井妙子『おそめ ― 伝説の銀座マダムの数奇にして華麗な半生』洋泉社 2006年(新潮文庫版 2009年)
・俊藤浩滋・山根貞男『任侠映画伝』講談社 1999年
・文春オンライン 2025年12月1日 近藤正高 連載(第1回〜第3回)―『週刊文春』1965年12月13日号/1982年7月29日号、『週刊朝日』1972年3月24日号、『週刊読売』1996年6月2日号 引用
・朝日新聞 夕刊 2017年1月12日〔6〕/1月16日〔8〕/1月17日〔9〕― 富司純子「人生の贈りもの」
・文藝春秋 2022年10月号 伊藤彰彦「仁義なきヤクザ映画史 第7回」
・現代ビジネス(講談社)2014年12月4日 伊藤博敏
・松岡正剛「千夜千冊」第1155夜 ― 石井妙子『おそめ』論評
・笠原和夫・荒井晴彦・絓秀実『昭和の劇』太田出版 2002年/笠原和夫『映画はやくざなり』新潮社 2003年
・マキノ雅弘『映画渡世』
・壹番館洋服店「銀座人インタビュー」第18弾 ― 六本木「比呂」店主・俊藤正弘さん(純子さんの兄)
・ウィキペディア「富司純子」「俊藤浩滋」「上羽秀」「緋牡丹博徒シリーズ」「純子引退記念映画 関東緋桜一家」
※本動画は、公開されているノンフィクション・報道記事・ご本人および関係者の発言をもとに構成しています。ご家族の間の出来事については、当時の記録と関係者の言葉をそのまま紹介し、断定はしていません。
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