【衝撃】山本広|三代目組長代行はなぜ山口組を離れ、一和会を率いたのか
昭和裏社会秘録
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【衝撃】山本広|三代目組長代行はなぜ山口組を離れ、一和会を率いたのか
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昭和59年(1984年)6月、三代目山口組の後継者問題をめぐって、日本最大の暴力団組織・山口組が分裂しました。その中心にいたのが、三代目組長代行を務めていた山本広と、四代目組長に就任する竹中正久です。
田岡一雄の死後、四代目最有力候補とみられていた若頭・山本健一も急逝。山本広が組長代行、竹中正久が若頭となり、巨大組織は長い後継者不在の時代へ入ります。そして1984年、竹中の四代目就任に反対した山本広らは山口組を離れ、一和会を結成しました。発足当初の一和会は数千人規模とされ、山口組と互角以上の勢力を持つともみられていました。
なぜ、山口組の頂点に近い組長代行だった山本広は竹中四代目を受け入れなかったのでしょうか。なぜ多くの直系組長が山本とともに離脱したのでしょうか。そして、巨大勢力として出発した一和会はなぜ急速に力を失っていったのでしょうか。
本動画では、田岡一雄の死、山本健一の急逝、四代目継承問題、一和会結成、山一抗争、そして1989年の一和会解散までを、警察資料、公刊資料、当事者の回想を照合しながら時系列でたどります。あわせて、「三代目の遺言」など資料によって見解が異なる部分についても、確認された事実と後年の証言を分けて整理します。
▼ 目次
00:00 山口組が二つに割れた日
03:05 田岡一雄の死と後継者
06:25 山本健一急逝――消えた四代目
09:45 組長代行・山本広の立場
13:15 山本広と竹中正久の対立
17:00 竹中四代目決定と一和会結成
20:40 六千人という勢力の誤算
24:20 竹中正久射殺と山一抗争
27:30 一和会崩壊への道
30:10 山本広はなぜ離脱したのか
※本動画は、当時の報道、公刊資料、公的記録などをもとに構成した歴史解説コンテンツです。特定の個人・団体を賛美または誹謗する意図はなく、犯罪行為や暴力団への加入を推奨・助長するものではありません。資料によって見解が異なる部分については、断定を避けて紹介しています。
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