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志ん朝、馬生、志ん生と二人の息子【落語】鈴振り 替り目 寝床

落語ch:荒獅子男乃助

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志ん朝、馬生、志ん生と二人の息子【落語】鈴振り 替り目 寝床

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落語ch:荒獅子男乃助
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0:48 寝床 37:53替り目 55:54鈴振り 1:31:11エンドトーク 「寝床」 大家さんは義太夫語りが大好きですぐ他人に語りたがるが、あまりにも下手なので誰も聴きたがらない。この日も義太夫の会を開こうとおいしい料理と酒を用意し、番頭に長屋の店子たちを呼びにやらせるが、提灯屋、金物屋、小間物、鳶、豆腐屋と誰もが仕事を言い訳にして断ってくる。ならばと店の使用人たちに聞かせようとするが全員仮病を使って聴こうとしない。妻は子を連れて実家に避難してしまう・・・ 三代目 古今亭 志ん朝 七代目立川談志、五代目三遊亭圓楽、五代目春風亭柳朝と共に、若手真打の頃から東京における『落語若手四天王』と呼ばれた。他にも同世代噺家の中では『東の志ん朝、西の枝雀』と称される。「古今亭志ん朝」を名乗った他の2人は、いずれも名乗った期間が極めて短い。そのため「古今亭志ん朝」と記した場合、真打昇進から没するまで40年以上にわたって「志ん朝」を名乗り続けた三代目を指すことがほとんどである 「替り目」 寄席に数回通えば、まず確実に巡り合える定番中の定番ネタである。酔っ払って帰ってきた男は自分の家の前で人力車を拾い妻に小言を言われる、飲み足りない男は妻にむりをいい、おでんを買いに行かせる。そんな亭主関白で普段感謝もしない亭主が、妻への思いを吐露するが妻はまだ出かけておらず感謝の吐露をみんな聞かれてしまう・・・ 十代目 金原亭 馬生 5代目古今亭志ん生の長男で三代目古今亭志ん朝の兄。1948年に真打昇進し五代目古今亭志ん橋を襲名。1949年10月に10代目金原亭馬生を襲名した。父・志ん生からはあまり噺の稽古をつけてもらえなかったため他の師匠から稽古を受けたり独流で噺を練り上げたりすることで独自の芸風を磨き続け三遊派・柳派両派のネタを多く持った。 「鈴振り」 遊行寺の大僧正は後継者を誰にしたらよいか悩んでいた。やっと一計が浮かんでいよいよ跡取りを決める日になって大勢の若い僧が遊行寺に集合した。千人もの若い僧が客殿に集められ息子に白い紐のついた小さな鈴を結ばれて奥の大広間へと送られて行く。一体これはどういうことなのかと皆が訝しがっている。全員が揃ったところで大僧正「今日は特別な日によって酒、魚、料理を食するように・・・」との五戒破りの意外なお言葉が・・・ 五代目 古今亭 志ん生 1890年6月5日東京生まれ 本人曰く4代目橘家圓喬の弟子 6代目圓生は志ん生について「芸の幅が五十をすぎて、パーッと開けちゃった」「人間はズボラだったが、芸にウソはなかった」「志ん生の芸は傷だらけ(中略)その芸も完璧なものじゃなかったわけで、人間描写もいい加減なところがあった」「小さく固まらなかったから、いつかその芸がなんともいえない独特の芸風にふくらんでしまった」口演の出来不出来が激しかったが、「そこがいかにも志ん生らしいところで」「志ん生さんにはフラがありましたが、あれも型があっての上での自在な間なんです。型のないものは芸じゃありません。」と評している。「完成した5代目志ん生」を見ると「天衣無縫」と思えるが、実際は売れない時代が長く、芸について苦労して非常に考えた上であの芸風を苦心して作り上げたことが窺える。 トークなしで純粋に落語だけを楽しみたい方はこちらでどうぞ 落語の蔵:   / @repli455   #落語 #志ん生 #鈴振り #馬生 #替り目 #志ん朝 #寝床