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軍艦島の400年|なぜ海の上の岩に、日本一人口密度の高い町ができて消えたのか【定点で見る、この町の400年 #7】

定点で見る、この町の400年

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軍艦島の400年|なぜ海の上の岩に、日本一人口密度の高い町ができて消えたのか【定点で見る、この町の400年 #7】

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定点で見る、この町の400年
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長崎の沖、端島(軍艦島)を西の海の上・高さ約75mから見る同じ構図で、400年前の草もろくに生えない岩が、炭鉱の島になり、日本一の人口密度の町になり、そして無人になるまでを、古い順に見ていきます。 6回の埋め立て、日本最古の鉄筋コンクリートのアパート(30号棟)、海の下636mまで掘られた竪坑、戦時中の動員をめぐる日本政府とユネスコの言葉、東京ドーム1個と少しの島に5,300人近く、石炭から石油へのエネルギー革命と閉山。 定点からの眺めに加えて、島の北・南・東・真上・遠くの海・島のいちばん高いところなど、いくつもの方向から見た島の姿で、時代ごとの変化をたどります。国土地理院の標高データと OpenStreetMap の建物から作った3DCG(14本)で、島が広がり、建物が積み上がり、明かりが消えるまでもお見せします。 ■ チャプター 0:00 オープニング 1:32 今日の「定点」 2:19 第1章 海の上の岩(1620年代) 3:09 第2章 磯で拾う石炭(1810年ごろ) 4:09 第3章 三菱が買った島(1890) 5:45 第4章 岩を広げる(1897〜1931) 7:28 第5章 日本最古のコンクリートのアパート(1916〜1918) 9:05 第6章 海の下の炭鉱(1941) 10:22 第7章 戦争の島(1945) 12:32 第8章 日本一の人口密度(1960) 14:36 第9章 石炭がいらなくなった日(1974) 16:57 第10章 崩れていく島(2026) 18:49 答え合わせ 20:16 一つの理由でできた町 ■ 出典(台本の事実確認に使った資料。URLは固定コメントに記載) G1 長崎市「史跡 高島炭鉱跡(高島北渓井坑跡・中ノ島炭坑跡・端島炭坑跡)」 G2 長崎市「端島(軍艦島)整備基金」 G3 長崎市コラム「長崎から見た近代化の道のり ~明治日本の産業革命~」 G4 内閣官房「保全状況報告書」(2019年11月)Appendix 2-2 端島炭坑 護岸遺構等の発掘調査 G5 内閣官房「保全状況報告書」(2019年11月)Appendix 2-1 端島炭坑 坑口調査 G6 文化遺産オンライン(文化庁)「高島炭鉱跡」 G7 UNESCO World Heritage List 1484「Sites of Japan's Meiji Industrial Revolution」 G8 UNESCO 決議 39 COM 8B.14 G9 UNESCO 決議 44 COM 7B.30 G10 J-CAST ニュース 2015年7月6日(2015年の世界遺産委員会での日本代表の発言「意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた」、外相・官房長官の「強制労働を意味しない」との説明) G11 参議院 答弁書 内閣参質二一一第三九号 G12 資源エネルギー庁「日本のエネルギー、150年の歴史③」 G13 コトバンク「三池争議」(1959〜1960年、三井三池炭鉱の大量解雇をめぐる争議) G14 Wikipedia「端島 (長崎県)」(元の島は南北約320m・東西約120m/1897〜1931年の埋め立てで南北約480m・東西約160m、約6.3ha/石炭の発見は一般に1810年/1869年の採掘と台風での撤退/1886年 第一竪坑〈深さ36m〉/1916年 30号棟〈日本最古の鉄筋コンクリート造の集合住宅〉/1918年 日給社宅〈9階建て〉/1916年 大阪朝日新聞「軍艦とみまがふ」、1921年 長崎日日新聞が戦艦「土佐」になぞらえ「軍艦島」/屋上の農園・保育園/1941年 年間出炭 約41万トン/1945年 65号棟〈報国寮〉と偽装塗装/1958年 70号棟 小中学校/1939〜45年の火葬認可記録 日本人1,162人・朝鮮人122人・中国人15人〈『軍艦島の生活』〉/1964年 坑内の自然発火で縮小/1970年 鉱命終了期の発表/1974年1月15日 閉山、4月20日 最終便で無人/1991年 台風で映画館が全壊/2001年 高島町へ譲渡、2005年 長崎市へ/2009年4月22日 上陸解禁) G15 軍艦島ガイド 年表(1925年 第四竪坑〈深さ370m〉/1934年 第二竪坑が深さ636mに達する/1957年 海底水道) G16 nippon.com「軍艦島」2024年12月21日(端島の石炭は製鉄用、官営八幡製鉄所などに送られた/1964年の火災で主な坑道が水没) G17 GLTJP(長崎市監修)「端島(軍艦島)」 G18 Impress Watch 2026年4月17日「軍艦島に56年ぶり建築物」(72号棟、木造平屋、2026年4月16日 運用開始) G19 テレ東BIZ 2026年10月23日(見学できるのは島の10分の1にも満たない区域/30号棟は5年前から「余命半年」と言われている) G20 東京ドームシティ「東京ドームとは」 G21 OpenStreetMap(島の輪郭・建物の位置と高さ)/国土地理院 標高タイル G22 Wikimedia Commons「Nagasaki Hashima history map.png」 ※(二次)は報道・民間の解説です。 ■ 画像・写真(Wikimedia Commons。各ファイルのURLは固定コメントに記載) ・閉山の年の端島(左下)と中ノ島(右上)(Attribution) ・端島のアパート(1930年ごろ)(Public domain) ・30号棟 Hisagi(CC BY-SA 3.0) ・65号棟 Jordy Meow(CC0) ・崩れた建物 NevinThompson(CC BY-SA 4.0) ・明治後期の端島(絵葉書)(Public domain) ・昭和初期の端島(1930年ごろ)(Public domain) ・端島の埋め立ての歴史(Hisagi/CC BY-SA 3.0) ・船から見た端島 ノーマルエディタ(CC BY-SA 4.0) ・炭鉱施設の跡 Σ64(CC BY 3.0) ・第二竪坑の坑口跡と総合事務所跡 VKaeru(CC BY-SA 3.0) ・南西の海から見た端島 Hisagi(CC BY-SA 3.0) ・長崎から曳航される戦艦「土佐」(1922年)(Public domain) ■ 地図・標高データ:© OpenStreetMap contributors(ODbL)/Natural Earth/国土地理院(標高)。埋め立ての範囲は、内閣官房の保全状況報告書(2019年)の図と年代をそろえた Wikimedia Commons の図(Hisagi/CC BY-SA 3.0)をもとにしています。 ■ 1974年の空中写真:国土地理院 ■ BGM:「厳粛ムード」alaki paca/OpenTracks(旧DOVA-SYNDROME) ■ ナレーション:AivisSpeech(音声合成) ■ AI生成・CGについて 画面右上に「再現イメージ(AI生成)」と出ている映像は、資料をもとに画像生成AIで作った再現イメージで、実際の写真ではありません。「3DCG」と出ている映像は、国土地理院の標高データと OpenStreetMap の建物の形をもとに3DCGソフト(Blender)で作った白い模型で、高さは強調していません(建物の高さは記録の階数から)。海の下の坑道の向きと長さはイメージです。定点や、ほかの方向から見た島の再現イメージは、埋め立ての年代ごとの島の形と建物の年をもとに3DCGで作った配置図から描き、主な建物の位置を照合しています。 戦時中の労働者については、日本政府・国会の答弁書・ユネスコの決議の言葉を、誰の言葉かが分かる形でお伝えしています。 #軍艦島 #端島 #長崎 #炭鉱 #昭和の歴史