【戦艦大和】沖縄へ向かった3332人のうち、生きて帰れたのは276人だった|4月7日14時23分、艦は爆発し海の底へ消えた|実際の写真をAIフルカラー復元
色でたどる戦争の記録
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【戦艦大和】沖縄へ向かった3332人のうち、生きて帰れたのは276人だった|4月7日14時23分、艦は爆発し海の底へ消えた|実際の写真をAIフルカラー復元
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色でたどる戦争の記録
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1937年11月4日、広島県の呉海軍工廠で1隻の船の建造が始まった。書類の上での呼び名は「1号艦」。建造場所は筵で覆われ、対岸から見えないよう屋根がかけられ、働く人の身元は調べられた。1936年3月に艦政本部が弾いた見積もりは、およそ1億3780万円である。1941年10月30日、高知県の宿毛湾で行われた全力公試で、この船は27.46ノットを記録した。全長263メートル、全幅38.9メートル、基準排水量6万4000トン。当時、世界のどの軍艦よりも大きかった。竣工は同年12月16日、真珠湾攻撃のわずか8日後である。46センチ砲を3連装で3基、合わせて9門。砲弾は1発1460キログラム、最大射程はおよそ4万2000メートル。戦艦の主砲としては、今日にいたるまで世界最大だ。名は、大和という。1942年2月12日に連合艦隊旗艦となり、トラック泊地では冷房とラムネ製造機を備えたその居住性から「大和ホテル」と呼ばれた。だが敵の艦に向けて主砲を撃ったのは、1944年10月25日のサマール沖、就役から3年10か月後の、たった一日だけである。1945年3月19日、呉沖の瀬戸内海で空襲を回避したこの船に、次の命令が下る。沖縄の海岸に乗り上げ、動かない砲台として戦えというものだった。4月6日午後3時20分、山口県の徳山沖を出撃。その未明、少尉候補生と負傷者は艦から降ろされている。残りたいと願い出た者もいたが、認められなかった。数日後、生きていたのは彼らのほうだった。翌4月7日午後0時32分、最初の攻撃が始まる。この日、艦には3332人が乗っていたとされる。当時撮影された実際の記録写真16枚をAIでフルカラー復元し、1隻の船の一生をたどります。
■ 映像について
当時の白黒写真をAIで補正し、色を推定して再現しています。細部の色は実際と異なる場合があります。写真の内容(人物・構図)そのものには手を加えていません。元の白黒写真も保存しています。ナレーションにはAI音声を使用しています。
■ 写真出典(すべてパブリックドメイン)
・写真1: 米海軍歴史遺産司令部 NH 63433 / 呉市海事歴史科学館(1941年9月20日 呉海軍工廠)
・写真2: 米海軍歴史遺産司令部 80-G-704702(1941年10月30日 宿毛湾)
・写真3: 日本海軍撮影 / Imperial Japanese Navy Photograph Archive(1941年12月20日)
・写真4: 日本海軍撮影(1942年2月10日 大和艦上)
・写真5: 日本海軍撮影 / 福井静夫コレクション(呉市海事歴史科学館)と推定(1943年 トラック泊地)
・写真6: 神田武夫撮影 / 米海軍歴史遺産司令部 L42-08.06.02(1943年 トラック泊地)
・写真7: 日本海軍撮影(1944年5月22日 大和艦尾)
・写真8: 日本海軍撮影(1944年6月19日 マリアナ沖)
・写真9: 米海軍歴史遺産司令部 NH 63435(1944年10月22日 ブルネイ湾)
・写真10: 米海軍 80-G-325952(1944年10月24日 シブヤン海)
・写真11: 米海軍 80-G-48888(1944年10月25日 サマール沖)
・写真12: 米海軍 80-G-309662(1945年3月19日 呉沖)
・写真13: 米海軍 80-G-320642(1945年4月7日)
・写真14: 米海軍歴史遺産司令部 NH 62581(1945年4月7日 沖縄北方)
・写真15: 米海軍歴史遺産司令部 NH 62580(1945年4月7日)
・写真16: 米海軍 80-G-413914(1945年4月7日)
■ 参考資料
防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 沖縄方面海軍作戦』朝雲新聞社1968年 p.648 / 能村次郎『慟哭の海 戦艦大和死闘の記録』読売新聞社1967年 p.117 / 吉田満・原勝洋『日米全調査 戦艦大和』文藝春秋1975年 p.339 / 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)および同館 第25回企画展「海底の戦艦大和」 / 国立国会図書館レファレンス協同データベース 事例1000064489・1000185133 / 沖縄県公文書館「1945年4月7日 戦艦大和が撃沈される」
■ 運営者情報・お問い合わせ
運営: 「色でたどる戦争の記録」運営者
連絡先: spmedias.official@gmail.com
※本動画は歴史記録の紹介と鎮魂を目的としたものであり、戦争や特定の政治的立場を美化・主張するものではありません。特定の国・部隊・個人を非難する意図はありません。
※史実の記述には諸説ある箇所があり、本編では「〜とされる」等の留保を付けています。生存者の数は戦史叢書の276名と、生存者本人の著書『慟哭の海』の269名で食い違うため、本編では両論を併記しています。
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