昭和30年、駅弁売りになった少女の物語
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昭和30年、駅弁売りになった少女の物語
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「べんとー、べんとー」。停車時間は、わずか3分。昭和30年、18歳で駅弁の「立ち売り」の売り子になった1人の女性がいました。首から下げた木箱、窓から伸びる手、ひと目で数える釣り銭。集団就職の少女に渡した、ひとつの弁当。けれど、窓の開かない特急と新幹線の時代がやって来ます。汽車の窓とともに生きた、彼女の15年をたどります。
*チャプター*
`0:00` 停車時間は3分 ── 汽車の窓に弁当を売る仕事
`5:27` 停車3分 ── 初めてのホーム、声が出ない
`7:15` 窓の向こうの人たち ── 集団就職の少女とひとつの弁当
`10:49` 窓が開かない汽車 ── 特急「こだま」と新幹線の時代
*参考文献*
乗りものニュース「駅弁140年史」の記事(2ページ目)── 昭和18年(1943年)5月、乗客がホームの売り子に押し寄せて発車の遅れやけが人が出たため、国鉄が駅弁の販売を列車の窓越しに限ると発表したこと/明治39年(1906年)以降、国鉄の「停車場構内物品販売営業人従業心得」で、掛け紙に「駅付近の名所または旅客案内」を載せると定めたこと/戦時中、米が配給制になり(1941年)駅弁が姿を消したこと/1950年代に白米の駅弁が自由に売れるようになったこと
乗りものニュース(国鉄151系の記事)── 昭和33年(1958年)の特急「こだま」が全車冷房・固定窓の最初の車両だったこと、高速で走る列車は窓を開けると空気の抵抗が大きくなること、特急では窓が開かないことが「常識」になったこと
乗りものニュース(東海道新幹線の開業の記事)── 昭和39年(1964年)10月1日の開業、「ひかり1号」、東京〜新大阪が当面4時間で結ばれたこと、東京オリンピックの開幕(10月10日)の直前だったこと
旅行総合研究所タビリス/tabi-mag(集団就職列車の記事)── 昭和29年(1954年)4月5日の青森発・上野行きが最初の集団就職列車で、昭和50年(1975年)まで走ったこと
azabu.style(駅弁の立ち売りの記事)── 窓越しの売り方と掛け声「べんと〜、べんと〜」、首や肩にかけた大きな箱、1960年代に特急と新幹線が普及して窓の開かない車両が増え、立ち売りが成り立たなくなったこと
サライ.jp(人吉駅の立ち売りの記事)── 木箱は約15キロ、停車は約3分で窓越しに売り、釣り銭を暗算で渡したこと、「最初は恥ずかしかったけん、声がなかなか出なくて」という証言(初めての日の場面の参考)
PRESIDENT Online(折尾駅の立ち売りの記事)── 大正時代から続く折尾駅の立ち売り、木箱を首から下げて窓越しに売る姿(感想「近年も一部の駅に残っていました」の裏付け)
時事ドットコム(折尾駅・人吉駅の立ち売りの記事)── 近年も立ち売りが続いていたこと
個人ブログ(昭和55年の駅の立ち売りの録音の記録)── 昭和55年(1980年)8月、小倉駅と肥前山口駅で録音された立ち売りの声が女性の売り子だったこと
神戸新聞(2021年3月9日、駅弁の記事)── 昭和30年代の旧国鉄姫路駅のホームで駅弁を売る売り子の写真(画像の時代考証の参考)
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