Перейти к содержимому

三代目 春風亭柳好『蟇の油』 小山觀翁撰集

観翁撰集 Kanou Collections 小山泰生象翁 編

0:00 / 0:00

三代目 春風亭柳好『蟇の油』 小山觀翁撰集

8 053 просмотра · 6 л. назад
観翁撰集 Kanou Collections 小山泰生象翁 編
10,1 тыс. подписчиков
8 053 просмотра · 6 л. назад
1981昭和56年10月26日 川戸貞吉さんの番組で放送した音源です。 川戸さんと觀翁が対談しながら番組をすすめています。 『蟇の油』を中に据えて、前後を切りました。 ********************* 3代目 春風亭 柳好(野ざらしの柳好、1887年4月24日 - 1956年3月14日)は落語家。 本名 松本 亀太郎。東京都台東区浅草出身。出囃子は「梅は咲いたか」。 来歴・人物 花が咲いたかのように艶やかかつ華のある高座で、「唄い調子」と言われる流麗な口調が独特。 多くのファンを獲得した。今日でも落語愛好家の間で「柳好」と言えば決まって「3代目」のことを指すほどである。ただし人物描写や心理表現といったものは皆無で、批評家の評価は低く、人気のわりには高い評価を受けなかった。 ラジオ東京(現・TBS) 専属落語家。 1912年2月、2代目談洲楼燕枝に入門し燕吉を名乗る。その後同年?に柳亭燕玉、柳亭燕雀、一時京都の寄席笑福亭などに出演。1913年、1914年ころに春風亭錦枝で睦会に迎えられ1917年に6代目春風亭柳枝の門下で柳好で真打ちに昇進。東京演芸会社から落語睦会に陣営強化のためにスカウトされる。8代目文楽、6代目柳橋(当時小柳枝)、2代目小文治と並び「睦の四天王」と呼ばれた。1933年ころから、一時期高座を離れ幇間となるが、間もなく日本芸術協会(現在の落語芸術協会)に所属。 出囃子の「梅は咲いたか」が流れ高座横の出演者を示すめくりが「柳好」に変わると客席は「柳好だ。」と期待にどよめきだし、本人が高座に出ると拍手の嵐となった。その凄さに、8代目桂文楽は「楽屋で聞いても上手いとは思えません。でも、もう、あの、ぱあっとしたはなやかさは何なんでしょうねえ」と誉め、序列は上でも構わないから落語協会の方に来て欲しいと真顔で語った。(以下は6代目圓生が川戸貞吉に語った述懐)6代目圓生も同様に、序列は上でも構わないから落語協会の方に来て欲しいと思っていた。実際に、落語協会が、柳好を日本芸術協会から引き抜くという計画があった。頓挫したのは、落語協会側の2代目円歌が反対したからである。 得意ネタは「野ざらし」、「がまの油」、「鰻の幇間」、「電車風景」、「二十四孝」、「たちきり」など。高座へ上がると客席から決まって「野ざらし」や「がまの油」を求める掛け声がかけられたという。また、学習院大学落語研究会に依頼され、学内の講堂にて『五人廻し』を演じたこともあった[1]。しかし、噺の途中で会場に目をやったところ、客席の最前列に皇太子明仁親王がいるのに気づき、動揺して途中で高座を下りてしまった。 『五人廻し』は遊郭を舞台とする艶噺だったことから、控室に戻ってからも「あたし、不敬罪で逮捕されるんじゃないか」と顔面蒼白で動転しており、落語研究会の吉村昭らが「今は民主主義の時代ですから、そんなことありません」と必死に宥めたという。 晩年は向島の芸者屋の若旦那となっていた。 1956年、TBSラジオで「穴どろ」を収録後、上野鈴本演芸場の楽屋で急逝(なお、鈴本の楽屋で亡くなったのは4代目柳家小さんにつぐ二人目)。68歳没。弟子に4代目春風亭柳好、10代目柳亭芝楽、燕雀(元・春風亭好燕、廃業)、実の弟の春風亭梅好、千代若、漫才の桂金吾、俗曲の桂小豆(玉川スミ)らがいる。 出典:ウィキペディア