【本能寺の変その後】秀吉の中国大返しはなぜ間に合ったのか、AIに採点させたら意外な答えが残った
AI伝承解析室
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【本能寺の変その後】秀吉の中国大返しはなぜ間に合ったのか、AIに採点させたら意外な答えが残った
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1582年6月、本能寺の変。
備中高松で毛利の大軍とにらみ合っていた羽柴秀吉は、およそ200km離れた京都へ大軍を引き返させ、わずか11日で明智光秀を打ち破りました。
なぜ、あの大軍は間に合ったのか。そして、なぜ毛利は追ってこなかったのか。
今回は、事件と同じ時代に書かれた手紙や記録をもとに、「中国大返し」をめぐる5つの説をAIに採点させてみました。
官兵衛の筋書き、秀吉は事前に知っていた、超人的な強行軍、密使の先取り……。AIが最後に1位に選んだのは、意外な答えでした。
さらに「天王山の奪い合い」「洞ヶ峠の日和見」という山崎の伝説も、記録から確かめています。
あなたは、秀吉が間に合った本当の理由は何だと思いますか? コメントであなたの推理を聞かせてください。
※ AIの採点は一つの推理です。今残っている記録をもとにした見立てで、定説を示すものではありません。
■ 目次
0:00 つかみ
1:01 1582年6月 備中高松
4:45 AIの検証ルール
7:33 説1 官兵衛の筋書き
9:30 説2 事前に知っていた
11:52 説3 超人的な強行軍
14:24 説4 密使の先取り
15:33 止まった秀吉
17:18 信長の出陣と、迎えの支度
19:55 AIの採点結果
20:46 山崎のもう一つの伝説
22:48 AIがたどり着いた答え
24:47 残された謎
■ 参考にした史料・研究
・羽柴秀吉書状(天正10年6月5日付、中川清秀あて)
・羽柴秀吉書状写(天正10年10月18日付/『浅野家文書』)
・羽柴秀吉誓約状(天正10年6月3日付、2025年確認)
・吉川広家覚書(毛利側の記録)
・大村由己『惟任退治記』
・吉田兼見『兼見卿記』
・『梅林寺文書』『秋田家文書』
・小瀬甫庵『太閤記』、『川角太閤記』、『黒田家譜』、湯浅常山『常山紀談』(いずれも江戸時代の書物)
・服部英雄氏の研究(2015年)
・渡邊大門「中国大返し再々考」(2018年)
・千田嘉博氏(城郭研究)の指摘
・距離は地図上の概算です。日付は当時の暦(旧暦)です
■ 画像
・史料画像はすべて Wikimedia Commons より(Public domain)
・備中高松城水攻め・清水宗治切腹の図(豊宣):Public domain
・山崎合戦前の軍議の図:Public domain
・姫路城の図(明治初期):Public domain
・豊臣秀吉像、明智光秀像、織田信長像、徳川家康像、黒田孝高(官兵衛)像、清水宗治像、毛利輝元像、小早川隆景像、中川清秀像、池田恒興像、高山右近像、柴田勝家像、丹羽長秀像:Public domain
・滝川一益像(国立国会図書館『肖像集』):Public domain
・「イメージ」と表示した織田信孝の人物画は、当時の肖像が見つからないため制作側で作成したイメージです
・地図は公開されている行政区画データをもとに自作
■ 音声
VOICEVOX:青山龍星
■ BGM
Kevin MacLeod "Lightless Dawn" (CC BY)
"Lightless Dawn" Kevin MacLeod (incompetech.com)
Licensed under Creative Commons: By Attribution 4.0 License
http://creativecommons.org/licenses/by/4.0/
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