1日2回、カップ1杯のスープだけ。断食療法を選んだ姉妹は、なぜ逃げなかったのか
知識のグリモワール
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1日2回、カップ1杯のスープだけ。断食療法を選んだ姉妹は、なぜ逃げなかったのか
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「ふつうの人なら、少なくとも百日は、食べなくても死なない」――1908年、そう本に書いた医者がいました。
1911年、アメリカ・シアトル。お金持ちのイギリス人の姉妹が、新聞の広告で見つけた女性の医者のもとで、断食の治療を始めます。
食べていいのは、1日2回、カップ1杯の野菜スープだけ。
やがて2人は歩けなくなり、森の中の療養所へ移ります。そこで、妹は亡くなりました。
大人が2人もいて、なぜ逃げなかったのか。そして医者は、お金のためだったのか、本気で信じていたのか。
当時の新聞・法廷の証言・姉の日記をもとに、「飢餓の丘」と呼ばれた事件の実話をたどります。
※再現の絵は AI で作ったイメージです(画面の左上に「再現イメージ」と出しています)。新聞と本のページは実物です。
※ハザードとドラの声(再現)は、当時の本・新聞・日記に残る言葉を日本語にしたものです。法廷の証言は、新聞記者の要約です。
※今のお金への換算(宝石6,000ドル=約4,000万円、400ドル=約270万円)は目安です。1911年のアメリカの勤め人の年の稼ぎをもとに計算しています。
※「飢餓の丘(Starvation Heights)」は、のちに付いた呼び名です。
※今の断食・ファスティングの話ではなく、1911年に医者が患者の食事を止めた事件の話です。
👇 ハザードは、お金のためだったのか、本気で信じていたのか。よかったらコメントで聞かせてください
▼目次
0:00 1日2回、カップ1杯
1:20 姉妹と、新聞の広告
2:40 カップ1杯の治療
4:14 なぜ逃げなかったのか
6:41 妹に、食べ物を
7:29 治療の裏で
11:44 証言台
13:01 森へ戻る
▼参考
・Washington State Archives「Linda Burfield Hazzard: Healer or Murderess?」
・MNopedia「Hazzard, Linda Burfield Perry (1867–1938)」
・The Omaha Sunday Bee 1912年1月21日(ドラの証言)/Norfolk Weekly News-Journal 1912年1月19日(検事の冒頭陳述)/Omaha Daily Bee 1913年3月30日
・Barrier Miner 1912年1月31日、The Globe(シドニー)1914年2月14日(乳母とドラの話)
・Linda Burfield Hazzard『Fasting for the Cure of Disease』(1908年)
・Arkes & Blumer (1985) "The Psychology of Sunk Cost"/Keys ほか『The Biology of Human Starvation』(1950年、ミネソタ飢餓実験)
・Historical Statistics of the United States(1911年の勤め人の年の稼ぎ)
▼クレジット
VOICEVOX:小夜/SAYO
VOICEVOX:春日部つむぎ
VOICEVOX:波音リツ
VOICEVOX:夜語トバリ
資料:Linda Burfield Hazzard『Fasting for the Cure of Disease』(1908年。米議会図書館所蔵、Internet Archive)
資料:The Omaha Sunday Bee 1912年1月21日/The Alliance Herald 1911年8月10日(Nebraska Newspapers, University of Nebraska–Lincoln)
資料:Barrier Miner 1912年1月31日(Trove, National Library of Australia)
BGM:オリジナル
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