マミヤはなぜ消えた?|東大前の銭湯で生まれた中判カメラと、130万円のデジタルと、1億円の幕引き
あの会社はなぜ消えた?
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マミヤはなぜ消えた?|東大前の銭湯で生まれた中判カメラと、130万円のデジタルと、1億円の幕引き
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あの会社はなぜ消えた?
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1940年、東京・本郷の東京大学の前にあった銭湯を工場にして生まれたカメラの会社、マミヤ光機製作所(のちのマミヤ光機)。写真館やスタジオで使われる中判カメラ、RB67やM645で知られました。
1984年に会社更生法の手続きを申し立て、1992年には釣り具で知られたオリムピックに吸収合併されます。2006年、カメラの事業は1億円で譲り渡されました。
マミヤは、なぜ消えたのか。
▼ チャプター
0:00 イントロ
0:24 1984年3月5日
1:31 懸賞荒しの発明家
2:48 東大前の銭湯
3:55 レンズを替えられる二眼レフ
5:12 35ミリの迷い
6:44 スタジオのカメラ
8:11 大沢商会と同じ手続き
9:29 釣り具の会社とひとつに
10:48 130万円のデジタル
12:10 名前だけが残った
創業者の間宮精一は、写真雑誌の懸賞荒しと呼ばれた写真好きの発明家でした。レジスターの会社の技師長を経て、1940年に最初のカメラ、マミヤシックスを完成させます。フィルムの側を動かしてピントを合わせる、独自の仕組みでした。
戦後はレンズを交換できる二眼レフやマミヤプレスを出し、1970年にはスタジオ向けのRB67、1975年には6×4.5判の一眼レフM645を発売。中判カメラがマミヤの柱になりました。一方、35ミリの一眼レフではレンズの取り付け口(マウント)を何度も変え、国内ではふるわなかったといわれます。
1984年2月29日、主な株主で、子会社がマミヤの海外販売を担っていた大沢商会が会社更生法の手続きを申し立て、5日後にマミヤ光機も続きました。マミヤは35ミリから手を引いて中判に絞り、1992年、オリムピックに吸収合併されます。合併した会社、マミヤ・オーピーは、2005年に有効2130万画素のデジタルカメラ、マミヤZDを発売しましたが売れ行きは伸びず、翌年カメラの事業から手を引きました。
※ マミヤ光機という会社は1992年の吸収合併でなくなりました。合併した会社は1993年にマミヤ・オーピーと社名を改め、現在も遊技機の周辺機器や紙幣識別機などを作っています。マミヤのカメラの事業は2006年に別の会社へ譲り渡され、2015年にフェーズワンの日本法人に引き継がれました。
「あの会社はなぜ消えた?」では、かつて日本にあった企業のなりたちと消えかたを、毎日18:00に配信しています。
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